オーストラリアの建国は1788年。英国連邦の植民地として始まったこの国は様々な国からの移民によって発展してきました。当然、そのメインになったのはイギリス連邦、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなのですが、国が発展するにつれて、イタリア、ギリシャ、トルコ、などといったどちらかといえば貧国に属するヨーロッパの国々からたくさんの人々が夢を求めてオーストラリアに来ました。
その後、金鉱脈が発見されると移民は加速度を増し、どこから嗅ぎ付けたのか、中国人が現れ、ベトナム戦争が勃発するとベトナム、カンボジアから難民が。ユーゴスラビアの内戦ではマケドニア、クロアチア人が大量に押し寄せてきました。
現在ではIT産業に属するインド人の技術系移民、オーストラリア女性の結婚願望低下による影響でオーストラリア男性がタイ、フィリピンの若い女性と結婚し、芋づる式にその家族が、と東南アジア系の移民が増えています。あ、もちろん中国の富裕層が大量流入しているのは、どこの国でも同じですね。
そんな訳で、オーストラリアのスポーツ界にも様々な経歴を持った選手が数多くいます。
20世紀終わりごろに彗星のようにテニス界に現れた妖精、イェレーナ・ドキッチちゃんはクロアチア系です。どうぞ、ググってください。本当に可愛かった・・・
ゴホン、話に戻ります。彼女はまさにユーゴ内戦のせいで家族と共にオーストラリアに来た難民の代表格でして、彼女のおりなすシンデレラストーリは全オーストラリア移民少女の憧れでした。ですが、これがのちにおかしなことになるんです。
幼少の頃にオーストラリアに来た彼女は、オーストラリア人として青春時代を謳歌し、オーストラリアのエリート育成機関でテニスの練習に明け暮れ、瞬く間にオーストラリアを代表するテニス界の超新星として脚光を浴びました。ですが、西暦2000年、彼女は突然、メディアの前で祖国クロアチアの選手として活動することを発表したのです。コンフェデレーションカップ、という国対国の団体戦で、オーストラリアのためにプレーすることを拒否したんですね。これにはオーストラリア人大反発しました。どうしてこういう道を選んだのか、諸説あるんですが(オーストラリアの学校でいじめられていた、とか、コーチでもあった骨の髄まで生粋のクロアチア人であるお父さんのたっての願いであるとか・・・)、オーストラリアから逃げ出すようにして祖国クロアチアへ活動の場を移した彼女はみるみるその輝きを失っていくのですが、それはまた別のお話。
有名なサッカー選手ではイタリアの重戦車、インテルのクリスティアン・ビエリも実はオーストラリア育ちです。彼がまだ赤ん坊の頃に両親がオーストラリアへの移住を決め、ビエリもオーストラリアでサッカーを始めました。オーストラリアでも盛んなクリケット少年として育ったビエリ君は、父親の影響でシドニーにあったマルコーニ・スタリオンというイタリア人系のサッカークラブでサッカーを始め、そ大器のの片鱗を見せはじめるのですが、その才能がオーストラリアという辺境で埋もれてしますことを恐れた父親と友人から、イタリアへ行くことを勧められました。ま、その後は皆さんもご存知のはずですね。彼は結局世界でも有数のストライカーとして、イタリア代表にその名を歴史に刻みました。
こぼれ話ですけど、ビエリの弟、マッシミリアーノ(愛称はマックス。ジーナスじゃないっスヨ)はオーストラリアに残り、オーストラリア代表としてデビューしています。あまり活躍できませんでしたけど・・・
この様に、様々な背景を持つ選手が多いオーストラリア代表です。では、2006年当時の選手達を振り返ってみます。
GK マーク・シュウォルツァー
響きでわかると思うんですけど、ドイツ系です。
つぁーってね。アーノルド・シュワルツェネッ
がーっとか。もう、
あーといえば大体ドイツ。ちなみにまだ現役でして、最多代表出場記録更新中。
右SB ブレット・エマートン
英国系生粋のオーストラリア人。オーストラリアでキャリアを積んだ後、オランダはフェイエノールトへ。小野伸二のチームメイトとしてUEFAカップ優勝を引っさげ、プレミアのブラックバーンで過ごす。今は実家のシドニーに戻って、カズも短期で所属していたシドニーFCで余生を送っております。ちなみに今年ライバルクラブの西シドニーワンダラーズにかつてのチームメイト、小野伸二が入って大暴れしておりまして、ダービーマッチでは対抗心からか変にやる気を出してレッドカードを食らっておりました。愛いやつよのう・・・で、ちなみに彼もまだ現役代表なり
CB ルーカス・ニール
この人はほぼイギリス人です。何せ10代の頃からイギリスで生活して、そのキャリアのほとんどをプレミアで過ごしました。ブラックバーンにいた頃がキャリアの最高潮ではないでしょうか?何せ、リバプールのアイドル、ジェイミー・キャラガーの足を試合中にぶち折ったことで一躍有名になりましたから。クラブでは右SBを勤め、代表ではCB.2010年ワールドカップではキャプテンまでしていました。
CB クレイグ・モア
この人はスコットランド人。先祖がそうだったんですが、この人自身も10代でスコットランドに移住し、名門グラスゴーレンジャースのユースに入ります。その後順調にキャリアを重ね、最後にはレンジャースの砦を築いておりました。中村俊輔とは入れ違いでチームを去ったので対戦経験はないはずですが、彼がレンジャースに残っていたらセルティックにあそこまででかい顔されることはなかった、というレンジャースファン多数。強さとうまさを兼ね備えたCBの理想系でした。
守備的左SB トニー・ポポビッチ
サンフレッチェ広島にもいたんんで、覚えてる方もいるかな?彼はセルビア系2世(旧ユーゴ)。背がばか高いんで(193cm)、CBのバックアップでもありました。ドイツワールドカップの初戦、対ブラジル戦にて負傷退場し、それが彼のキャリア最後の試合となりもうした・・・本人は悔いなし、とか。戦場で散って本望とか、お前は武士か!
攻撃的SB スコット・チッパーフィールド
数少ないオーストラリア国内リーグ選手。まあ、スイスでもやってましたけど、キャリアのほぼすべてをオーストラリアのニューカッスル、という地方クラブで過ごした彼には結構思い入れがあります。ヒディング体制では左サイドバックでしたけど、本当は左よりの攻撃的MFです。祖父母がイギリスからの移民ですね。
守備的MF ビンス・グレラ
イタリア系移民の3世です。ユース代表、オーストラリアでのクラブ、イタリアでのクラブ、そしてオーストラリア代表、となぜかずっとチームメイトであるマルコ・ブレシーアノとは家族ぐるみで大親友だそうで。ちなみにWikiによるとイタリアへ渡った最初の仕事が、ユベントスのジネジーヌ・ジダンを密着マークすることだったそうな。・・・無理、と語っております。
攻撃的MF マルコ・ブレシアーノ
この人もイタリア系移民ですが、母親がクロアチア人。中盤ならどこでもできてSBもそつなくこなします。気がついたらゴール前にいる、そんなにくい男。
守備的MF ジェイソン・キュリーナ
攻守のバランスをとるのが絶妙だった。クロアチア系ですね。お父さんはオーストラリアでプロチームの監督をしています。親子鷹。
守備的MF ジョシップ・スココ
この人もクロアチア系。大して印象に残っていない位影の汗かき役。生まれはオーストラリアのド田舎です。
攻撃的MF ティム・ケイヒル
プレミアのエヴァートンでブイブイいわし、日本もだいぶ苦しめられたこの人、お父さんはアイルランド系、お母さんがサモア人、となんとも興味深い家系です。彼の母系のいとこはみんなラグビープレイヤーです。どおりで当りにむちゃくちゃ強いはずだ・・・
CF マーク・ビドゥーカ
いかつい彼もまたクロアチア系。やっぱりどうしてもリーズユナイテッドでの無双っぷりがまず先に来て、代表では実はそれほど結果を残していません。
WG ハリー・キューウェル
大正義ハリーはイギリス人、オーストラリア代表でプレイするイギリス人です。ヤングリーズを象徴するカリスマで、そのドリブルとシュートはまさにカミソリのごとき。何故彼はオーストラリア人なんだ、とイギリス中のサッカーファンを嘆かせた伝説を持つ(実際、イギリスサッカー協会は彼をイングランド代表にするため、FIFAに国籍規定の変更を求めたとか)彼ですが、そのことに関しては実は本人が一番ボヤいていたとか。ま、十代前半からずっとイギリス住まいなんで、わからんでもない。ユースのころにオーストラリア代表として試合をしていなければイギリス代表もあったのに・・・でも、オーストラリアサッカー史上最高のプレイヤーとして、いつも最高のプレイを見せてくれました。
CF ジョン・アロイージ
イタリア系ですな。何か突出した武器があるわけでもないのですが、かと言ってなんの弱点もない、計算できるフォワードでした。ちなみに5カ国のリーグを渡り歩いた苦労人
CF アーチー・トンプソン
ニュージランドの出身です。お母さんはパプアニューギニア人、というミスターオセアニア。実はFIFA公式レコードの持ち主で、なんと、ワールドカップ予選にて1試合13得点!おそらく2度と破られることはないでしょう・・・
控えGK ゼリコ・カラッチ
2m越えの長身キーパーでした。オーストラリア代表では控えでしたけど、この人なんと、あのACミランの正ゴールキーパーでした!ま、GKのほとんどが怪我、もしくは移籍でいなくなり、ACミランには一時期この人しかキーパーがいなかった、というオチがあるんですが・・・でも、ACミランに籍を置いていた、というだけでもその実力がうかがい知れる、クロアチア系。
控え 攻撃的MF マイル・ステリオロフスキー
あえて出しました、この舌を噛みそうな名前の彼。スキーだからロシア系か、と安易な気持ちでし調べたら、マセドニア系(旧ユーゴ)でした。
と、まあ、長くなりましたが、ドイツワールドカップ、オーストラリア久々の登場で大躍進をしたわけです。今、こうしてみると、いい選手がそろっていたな、と、ま、日本も負けましたけど、監督は勝負師ヒディングでしたし、今思えば順当な結果だったのではないか?そんな風に思います。
そして! もうちょっと続きます。お付き合い願いたい。
日本中が悲嘆にくれる中、このドイツ大会で実は因縁の深い戦いがありました。わかりますかね?見ていただくとわかるのですが、オーストラリア代表、結構な数のクロアチア系選手、そしてイタリア系選手がいるんです。そして、来ました、オーストラリア対クロアチア!
みなさん、この時のクロアチアメンバー、よーくプロフィールを見てください
(うぃきへのリンクです)。この中に一人、あれ?という選手がいます!
ジョシップ・シミュニッチ
この選手が問題のユダです。彼、生まれがオーストラリアの首都キャンベラ。はい、オーストラリア人です!クロアチア系の両親を持つ彼、オーストラリアが懸命になってワールドカップ出場権を戦っているとき、オーストラリアからの代表初召集を無視して、ワールドカップ出場が確実視されていたクロアチア代表キャンプに出向いてしまうのです。あいたたたたたー・・・
彼はサッカー選手としてワールドカップに出るのが夢だった、その可能性が高い国を選ぶ権利があっただけと言い訳しておりますが、オーストラリア全国民を敵に回した彼、オーストラリア戦に出場しております。クロアチア系移民の選手達に加えてこれですから、血みどろな戦いになるや、と思いきや、これが激しいけれどクリーンな戦いを繰り広げ、オーストラリア、見事に勝利。決勝トーナメントにこまを進めました。敗れたクロアチア代表のシミュニッチ君、予選グループ敗退・・・いったいどんな気持ちだったのでしょうか・・・
そんなオーストラリア代表も、決勝トーナメント一回戦で優勝国、イタリアをあと一歩のところまで追い詰めるのですが、これまで。姿を消すのです。
今日はここまで!