2013年8月6日火曜日

下ネタしつれいします!

と、言うわけで、3ヶ月ぶりの更新。
前みたいにあまり張り切って書こうとすると燃え尽きる感があるので、これからは徒然と思い立ったことを書いてみよう、と。

さて、英語で電話の応対なんかしていますと、よく綴りを聴き取り間違えるんですな。

S と F それに T と P

Torres が Porref になってしまい、おい、ロシア人かい、と。

地元ケアンズにプロのバスケチームがありまして、その名も Taipans タイパンズ。タイパンというのはこちらでも有名な毒ヘビの呼称でして、噛んでやるぜ、コノヤロー、とばかりに勇ましいチーム名でございます。
ところがどっこい、聞き間違えたら大変。

TaiTans タイタンズ 巨人達、まぁ、あながち間違いでもない。

Paitans パイタンズ 子供番組のキャラクターの様だ

PaiPans パイパンズ 。。。んはっ!

コートを駆け回る選手を見ながら、あー、やっぱりみんな剃ってんのかなぁ、などと思った夜勤明け

2013年5月5日日曜日

我がエスパルス、4月は無敗で終えました

久々の更新です。

いやー、一部サポーターの暴走からゴトビ監督、切れちゃいましたね。もう選手育成はそっちのけで勝ちに行った結果、この通り。1-0という渋い結果が続いていますが、結果が出せてしまうのは、やはりいい監督なのでしょうな。

この間エスパルスニュースを読み返してみたのですが、そこに原強化部長のインタビューが載っておりまして、興味深かったのは、やはりチームの方向性に対する発言。

”優秀なユースシステムととスカウト陣からなる育成型クラブ”

はっきりとこうおっしゃっておりました。

代表クラスの選手を買うお金なぞないので、若い将来有望な選手を獲得して育てながら、あわよくばタイトル狙っちゃうよ、とまぁそういうわけですな。

ここで気になるのが、じゃあ、育てた後は・・・となると、まぁ近年の歴史が示すとおり、好選手に育った選手はキャリアアップのため、もしくは高年棒となり移籍、と。その際、移籍金が入ればラッキーですが、いまいち日本の中堅クラブは選手契約がまだ旧態然としているせいか、将来の移籍を視野に入れた長期契約や特別条項などが難しいようです。早くそれが一般化するようになればいいですね。

では、海外を夢見る有望若手選手がエスパルスに魅力を感じるために、あえて窓口を作ってみましょう!そう、提携クラブです!

いま、タイのクラブと提携を結んでおりますが、実際問題、レンタル移籍で試合経験をつむ、クビになる選手の受け入れ先程度の魅力しかないでしょう。マン・シティーなどと言う報道もありましたけど、日本からいきなりトップのクラブに移籍して成功を収める選手など、世界でもトップクラスでなければ無理。よって、これも現実的ではない。やはり、欧州でも育成的なリーグ、オランダやフランスに的を絞ってみましょうか?

うーん、清水や静岡にゆかりの深い・・・あ!そういえばフランスのカンヌ、姉妹都市じゃあーりませんか!映画祭で有名なこの町のサッカークラブと言えば・・・

ASカンヌ

wikiによれば、選手育成に定評のあるクラブとして知られ、ジダン、アサノビッチ、ボクシッチ、ミクー、ヴィエラ、フレイ、クリシーなど、サッカー世界史に残るそうそうたる選手を輩出、とな!まさに若手選手の欧州第一歩としては最適ではないですか!

おー、ぜひASカンヌと提携して、2クラブ間移籍を活発にしてもらえば夢の様な話!

ん、なになに?・・・”現在は財政難により、アマチュアリーグに所属”・・・

ふぅ、今日もケアンズは雨か・・・

2013年4月13日土曜日

ケアンズ三昧らしいことをしてみよう!

と、いうわけで今日はまたビーチに行ってまいりました!
 

とは言っても、今回は違う場所へ。個人的なお気に入りのトリニティビーチです。
かなり前にパームコーブという所の紹介をしましたが、今回のトリニティーはケアンズから向かってそのパームコーブの手前。時間的には来るまで20分北ですな。
パームコーブが観光客用にかなり発展しているのに対して、このトリニティービーチはそれほどでもないのですが、レストラン、ホテルと一通りそろっています。

 
見えるかな?ビーチにすぐそばにあるホテルなんですが・・・
 

はい、この通り、パームコーブから見えるダブル島も視界にはいる少し小さめですが、きれいなビーチですね。
 
ワニさん注意の看板がでかでかと・・・ちなみに、ケアンズには町のあちらこちらに看板がありまして、たまーに発見、保護されます。
 


ビーチはブイで囲んである小さな一角だけが遊泳可、となっておりまして、その外で遊ぶ人は、クラゲなどの野生動物に要注意です。

ちなみにここにはビーチのすぐ横に子供が遊べる公園があるので便利。


こんな感じでうちの愛娘も大満足!


あまりのうれしさにダッシュしてみたり、


武藤敬司ばりのポーズを決めて見せたり・・・


いや、楽しい一日でした

2013年4月11日木曜日

静岡ダービー間近!

とりあえずデスゴールに怯えなくて済む、というのはありがたい。今年は本気でありえたからなぁ・・・ありがとうレッズ、そしてまたさようなら!

さあ、どうにも攻撃陣の調子がいまいち上がらないエスパルスですが、ここで朗報が。

なんと、ゴトビ体制になってからこの第6節、負けたことがありません!

そして、一度大敗した相手に2度続けてやられたこともありません!

もう失うものなど何もない、いけ!エスパルス!

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その5

小生しばらくオーストラリアサッカーにかまけておりまして、ガイアジャパンのことをすっかり忘れておりました。

それではガイアジャパン(日本サッカー代表の愛称のようですな)を語るにおいて、長与千種選手の次に来るのはやはりこの人しかない、などと勝手に想像いたすですが、いかがでしょう?

里村芽衣子


今や女子プロレス界の重鎮、もしくは東北の雄として一定の評価を持ち、すっかり落ち着いてしまった感のある彼女ですが、個人的にはもっと高みを目指してほしいものです。

デビューは1994年。まさにガイアジャパン旗揚げ戦ですな。相手は終生のライバルにはなりきれてはいないけども、今はOZアカデミーでがんばっている、加藤園子(おお、一発で変換できた!)。新人同士でのデビュー戦、という、女子プロ界において当時では珍しかった組み合わせ。

いや、見ごたえありました。1年ほどかけて長与千種にみっちり鍛え抜かれた基礎に加え、そのガムシャラさは見ていて気持ちが良かったものですな。

157cmという、どちらかと言えば小柄な部類にはいる彼女ですが、相手が誰だろうと気合を入れて立ち向かい、フォールに入られてもキックアウトでなくブリッジで返す、という根性の入りよう。試合を見ていると、いつの間にか見ているこちらの握りこぶしが握られている、という魅せ具合。

あと10cm、いや5cm身長があったのなら、おそらく女子プロ界に伝説として残っていたであろう彼女は、新人としては異例、デビル雅巳、ダイナマイト関西、アジャコングなど、そうそうたる面子を必殺、デスバレー・ボム(男子では新日の大岩選手が使い手として知られていましたが、彼は4代目。本家本元はは女子の技です。里村選手は3代目の使い手ですね)で撃破していくのですが、こうしたヘビー級の選手との対戦が祟ったのでしょうか、腰をやってしまいます。当時のアジャコングは長与千種と戦いたい、との一心でガイアジャパンに参戦してきたらしいのですが、この里村選手につっかけられて寄り道を。そうしたらなんと、面白かったそうですよ。本気で戦える相手がもう一人見つかった、と。あの100キロ近いアジャコングを投げましたからね、小さな里村選手が・・・長与千種選手から後継者、とまで名指しされるほどですから、その実力は折り紙つき。

そうそう、アジャコング、と言えばまぁ、世間でも知られているでしょう。長いですし、あと風貌ですから・・・その試合っぷりは、どちらかと言えばリンチに近くて、100%出し切っている姿をお目にかかるのは早々ない。それでもコメディタッチから男女混合マッチまでこなせて、口も達者とくる、まさにプロフェッショナルですな。でも、彼女が100%,いや120%だすまで追い込まれる試合が見てみたい・・・里村選手の腰が悪くなければなぁ・・・

ガイアジャパンの解散の後、仙台女子プロレス、というみちのくプロの女子部を旗揚げしてがんばっているのですが、この腰の負傷が尾を引いているのか、投げ技はあまり使わなくなり、グランド主体のレスリングで今もなお見せてくれていますが、さきほど申したとおり、身長があと5cmあって腰を怪我しなければどこまで行ったんだろう、という思いが捨て切れません。そう言えば、新人の頃多用していた飛びつき腕ひしぎも最近見ないなぁ・・・女子プロレス界においては屈指のレスリング技術を誇る’彼女は、大抵の選手にグランドのテクニックで劣ることはないのですが、一度みちのくのMEN’Sテイオーとタッグで対戦したときにそのグラウンドでコテンパンにされたのはショックでした。男子相手でもやると思ったんだけど・・

しかし!投げたり、跳んだり、という見た目からに派手な動きがなくても魅せることができるのがこの里村選手の真骨頂!そのたたずまい、眼力、ゆったりとした動きから始まるレスリングテクニック、微妙な間合いの取り方、日本プロレス界の重鎮レフェリー、和田京平をして”一度裁いてみたい”とまで言わしめた彼女の試合、彼女が現役のうちに一度ご覧になってください!

2013年4月1日月曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その6 オーストラリア代表の現在

2006年ドイツワールドカップの快挙の後、オーストラリア代表は初めて参加するアジアカップでも好成績を収め、その前途は順風満帆でした。ですが、それが新たな問題を作り出しました。世代交代の鈍化です。あまりにも当時の代表に所属していた選手のレベルが高かったため、若い世代が加わるとどうしても見劣りしてしまい、定着できませんでした。辛抱強く使っていればよかったのでしょうが、アジア、という未知の領域に対して、結果が強く求められていてオーストラリア代表にとって、若手の成長を待つ余裕などあるはずもなく、2010年ワールドカップもその予選、本選、とほぼ同じメンバーで戦っています。

そして、残念ながらAリーグの設立も代表レベルの低下に影響を及ぼしています。それまでのセミプロリーグと違い、Aリーグでは選手の平均年棒が3倍以上上がっています。以前は有望な若い選手はまずヨーロッパの2部リーグを目指してオーストラリアを出て行きました。何せ、国内ではサッカーで生活することは難しかったのですから。そしてヨーロッパで揉まれ、ステップアップしていった選手たちが代表として活躍していたのですが、現在では有望な若手はAリーグを活躍の場として選んでいます。セミプロであった以前と違い、今では選手の移籍にお金がかかります。そのせいでわざわざ2部リーグのクラブが高い移籍金を払ってオーストラリア選手を獲得するはずもなく、ヨーロッパのレベルの高いリーグでプレーできる選手が限られてしまっているのです。

それに拍車をかけるように、それまでヨーロッパでプレーしていた、全盛期を過ぎたオーストラリア選手もAリーグを主戦場として選ぶようになりました。ファンにとってはありがたいことなのですが、彼らがプレーすることによって、若い選手たちの出場機会が減ってしまいました。もちろんプロである以上、ポジションを実力で奪い返せばいいのですが、ワールドカップで英雄となったベテラン選手たちの出場は観客数にも影響を与えるので、奪おうにもクラブ側の事情でそれはかないませんでした。

現在Aリーグのクラブには最低2人のU21選手を登録しなければならない、というルールがありますが、Aリーグのレベルが最低でもアジアトップクラスにならない限り、


こんな裏事情が徘徊するグリーン&ゴールド、サッカルーズ現オーストラリア代表、見ていきましょう。

ちなみにシステムは昔からイギリス伝統の4-4-2です。

監督 2010年以降、ホルガー・オジェックです。浦和レッズの監督としておぼえていらっしゃる方も多いのでは?

オマーン戦のスタメン
GK マーク・シュウォルツァー
   もう40歳になりますか・・・代表キャップ歴代1位の105を更新中です。

DF ルーク・ウィルシャイア
   もう31際になってしまいましたか・・・プレミアのミドルズブラでデビューした後は中堅クラブを行ったり来たりで(イングランド2部のブリストルシティやオランダのトゥウェンテ)今はロシアのディナモ・モスクワでプレーしています。昔は攻撃的MFとしてキューウェル2世、などと騒がれておりましたが、悪い意味でプレーに落ち着きが出てしまいまして、今では右SBのレギュラーです。

DF ロバート・コーンスウェイト
   この人は実は英国生まれのオーストラリア育ち。オーストラリアのAリーグでデビューして今は韓国はKリーグでプレーしています。まだ27歳でその内Jリーグに来ると思います。ハードなマークが心情のCB

DF マイケル・スワイト
   ケアンズ生まれの地元の星!29歳のCBですな。元は2004年オリンピック代表で2010年ワールドカップはこの人の年、と言われていたんですが、ベテランが引退しないものだからそのあおりを食ってやっとレギュラーに定着しました。ルーマニアで一時期プレーしてましたが、代表に定着し始めてからはAリーグでプレーしております。
   
   

DF マシュー・マカイ
   オーストラリア人にしては小柄な171cmの守備的MF。武闘派として知られるクラッシャーの彼はAリーグからKリーグへそして今は中国のスーパーリーグで活躍しております。この試合では左SBとしてプレーしてましたけど、基本的には中盤の潰し屋。

MF ブレット・ホルマン
   AZアルクマールというオランダのチームで名を上げまして、今はプレミアのアストンビラですね。ま、根っからの右ウィンガータイプです。今はやや円熟期に入ったところですが、まだまだこの人を自由にしたらがんがんサイドを切り込まれます。

MF アレックス・ブロスク
   清水エスパルスファンには惜しまれているでしょう。フォワードから中盤までどこでも高いレベルでこなすテクニシャン。代表では左MFを任されていますが、試合展開でFWになったりトップ下に入ったり、監督には重宝されているでしょうね。元々はAリーグでエゴイスティックなストライカーとして知られていましたが、清水エスパルス時代にゴトビ監督の下でポリバレントな才能が開花したようです。今は中東のどこかのクラブだったような・・

MF ジェイムス・ホランド   
   ユース代表当時からその才能を買われていたゲームメーカー。二十歳前にヨーロッパに移籍し、今はオーストリアのウィーンでプレーしております。その内プレミアからも声がかかるでしょう。オーストラリア期待の星。

MF マイル・ジェディナック
   眉毛男。Aリーグの所属チームを優勝に導いた後、トルコに行き、今は英国の荒くれ集団、クリスタルパレスで最も愛される漢となりました。ポジションも同じですし、眉毛の濃いスティーブン・ジェラード、と呼んでも過言ではありません。

 
FW ロビー・クルーズ
   若手の中でも飛びぬけている快速ウィンガー。日本の岡崎慎司選手とタイプ的には似ている、オフザボールの動きが抜群です。十代の頃、お酒飲んで喧嘩する、などと素行不良が目立った彼も、今はドイツのデュッセルドルフで元清水エスパルスの大前元紀とポジション争いの真っ只中。ドイツって、また酒飲み過ぎてやらかしそう・・・期待を背負って10番です!

FW ティム・ケイヒル
   その抜群の得点力を買われて今は代表ではフォワードをやらされています。2006年当時からずっと出続けて、今は大黒柱。現在62試合出場で28得点。おそらく今予選大会で代表歴代1位の29得点を塗り替えるのでは?

控え
DF ルーカス・ニール
   前回のホームでのオマーン戦は彼の出場停止が大きかった。35歳になる彼がいないと落ち着かないディフェンスライン、というのがオーストラリアのタレント不足を物語っています。

FW アーチー・トンプソン
   その身体能力を生かした得点力はピカ一だったんですが、どうも世界を相手にブレイクすることなくズルズルと・・・気がつけば34歳になってました。Aリーグでは随一のストライカーだったんですが・・・

MF マーク・ブレシアーノ
   若いホランド君に道を譲りましたが、まだまだ健在です。

DF ジェイド・ノース
   一時期FC東京にいたんですが、覚えてる人いますかね?珍しくアボリジニーの出身です。ダイナミックな上がりが売りのいい左SBですね。まだ31歳ですが、本職ではないマカイを使うのはやはり世代交代を意識しているのでしょうか?

GK マシュー・ライアン
   Aリーグが誇る若き守護神。シュウォルツァーの後は彼だろう、と言われていますが、今まで何人もそういわれて消えていったので、どうでしょう?

DF マイケル・ズーロ
   左サイドのスペシャリストですね。2年ぐらい前にオランダのFCユトレヒトに移籍しました。その後は左ウィングで1対1に磨きをかけている、とか。オーストラリアで有名になったのはAリーグのせいではなくて、弟がテレビに出たのがきっかけ。

DF マーク・ミリガン
   JEFユナイティッド千葉でプレーしていた右SB。東北地震が怖くて今はオーストラリアに帰ってきています。一応CBと中盤の底ができる、という触れ込みですが、やっぱり右SBが本職でしょう。どちらかと言えば、守備的な、昔ながらのSBです。

MF トム・ロギッチ
   去年衝撃的なAリーグデビューをして、争奪戦の結果、今はスコットランドのセルティックでプレーする攻撃的MFというか、ほぼフォワード。20歳にしてもうガタイがいい、タイプ的にはミハイル・バラックに似てるかな?早めにオーストラリアデビューさせないとクロアチアに取られるぞ!


などなど。平均年齢にしたら30歳前後になる選手が中心です。25-29歳位くらいの日本なら代表の中核を担うはずの選手が、2006年選手のあおりを受けて全くチャンスをもらえず育ったなかったため小粒が多く、30オーバーと20代前半の選手で占められています。特にCBとGKの層が非常に薄い!攻撃は若い選手の勢いで何とかなるとは思いますが、やっぱりディフェンスの中核を担うはずの次の世代が経験をつめなかったのは痛いですね。

オーストラリアがアジアで優勝を狙える位置に来るのは、私見ですがあと5年はかかると思います。

では6月の日本対オーストラリア、楽しみにしていましょう!

2013年3月29日金曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その5 オーストラリアのスポーツ事情

元英国領に詳しい方はご存知であるでしょうが、サッカー発祥の地であるイギリスを母国にもったオーストラリアにおいて、以外にもサッカーはナンバー1スポーツではありません。どうしてもイギリス、というとプレミアリーグのイメージがあるせいかサッカーと思われがちですが、当イギリスにおいてもナンバー1スポーツ、と言えばラグビーになります。

オーストラリアにおいてもそれは例外ではなく、ラグビーワールドカップでもチャンピオンになるほどにそのレベルは高く、競技人口も他を寄せ付けないトップの人気を誇っています。


オーストラリアにはラグビーリーグ(通称:NRL)、ラグビーユニオンという2つのプロリーグがありまして、ルールに多少の違いがあるんですね。NRLは日本でもおなじみの伝統的なラグビー、リーグのほうはタックルとスクラムに制限があり、伝統的なラグビーに対してもっとスピーディーなゲーム展開が売りです。


このラグビーとほぼ同等の人気を誇るのが、オーストラリア式フットボール(通称:AFL)です。


ノースリーブの漢どもが楕円形のボールを投げて、蹴って、これまた楕円形のフィールドを走り回り、4本のポールの間にボールを蹴りこむことでポイントを競い合う、というなんとも馴染みのないスポーツですが、世界でも他に例のないスポーツにしては以外に面白い。

アイルランドのゲーリックフットボールが原型といわれるこのAFLは地域密着型のクラブチームがオーストラリア各地にあり、幅広い人気を誇っています。もしチャンスがあったらスタジアムで観戦されることをお勧めします。


サッカーはまだ出てきません。第3位に来るのはクリケット。元英国領ではおそらく一番盛んなスポーツでしょう。野球の原型となったスポーツですね。多くは語りません。小生、どうにも未だに何が面白いのかわからない・・・


その次に来るのがテニスかな?待ちにかならず一つはテニスクラブがありますし、お金持ちの間では自宅にテニスコートを持つことがステータス。全豪オープンなどもあり、歴史的にもいいテニスプレイヤーを排出しています。


そして、ここでやっと登場するのがサッカー。元々セミプロのNSLというリーグがあったのですが、Jリーグの成功を受けて、そしてワールドカップ再出場への熱もあって、Aリーグという完全プロリーグが2005年に誕生しました。まだ発展途上のリーグで、安定経営はまだまだ先ですが、いち早くクラブライセンス制度を導入し、サラリーキャップ(総選手給料の制限措置)制度を持ったこのリーグは金満ビッグクラブの存在がなく、毎年優勝クラブが変わる非常に見ごたえのあるリーグになっています。各クラブ、一人だけこのサラリーキャップ外の選手を雇うことができ、上の写真にもあるとおり、小野伸二、デル・ピエーロ、エミール・ヘスキーなどといった往年のスターが余生を送っております。

リーグのサッカーレベルはアジアでも中位クラス。AFCチャンピオンズリーグに勝ったことないですし、以前のJリーグのようにこういった客寄せパンダ的な選手がスタメンをはれる、という時点でお察しください。


と、言うわけで、サッカーの人気は国内でも一段下がるのが現状です。才能ある若者たちはラグビーやAFLに流れてしまい、サッカーをプレーする子供たちはクロアチア系やイタリア系のサッカー大好き移民の2世3世が主になっています。それでも平均して体格が大きいですし、オーストラリアの人たちは何かしらスポーツをすることが当り前になっていますので、そのあたりの身体能力で何とかしているのが現在の立ち位置なのかもしれません。


どのようなスポーツに携わっていても、オーストラリアには確固とした育成システムがあります。子供たちはまず、地元のクラブに入ります。そこである程度頭角を現してくると、こんどは市選抜チームに呼ばれ、そして州選抜へ。国中にその才能を知られる選手になれば、政府の管理するAISといわれるスポーツエリート養成学校に編入されます。世界で活躍するスポーツ選手の80%がこのAIS卒業生でして、ここに入れれば将来の成功は約束されたも同然、というシステムになっております。

そんなオーストラリアのスポーツ事情、次回はとうとう現代表に迫ります!

2013年3月28日木曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その4 オーストラリアサッカー協会の移籍

今日は世界でもまれに見るサッカー協会の移籍について語りましょう。

オーストラリアは元々オセアニア地区サッカー協会の主要メンバーでした。それが2006年ワールドカップ後、オセアニア地区を抜け、アジアサッカー協会の一員となり、これまでアジアカップやワールドカップ予選に日本の強敵として立ちはだかってきました。

なぜ、そんなことになったのか?ということなんですが、1番の原因は競技レベルにあります。


さて、現在のオセアニア協会の面子を見てみましょう。

アメリカ領サモア
クック諸島
フィジー
キリバーティ
ニューカレドニア
ニュージーランド
ニウエ
パラオ
パプアニュ-ギニア
サモア
ソロモン諸島
タヒチ
トンガ
トバル
バヌアツ

いくつかラグビーで聞いたことがある国がありますが、ニュージランドを除いて、見事に南の島ばかりですね。のんきな連中です。サッカーで生計を立てている人など、すべての国を合わせても一握りですね。

この国々との対戦成績はどのようなものだったのでしょうか?もっとも衝撃的であった2002年ワールドカップ、オセアニア予選の結果を抜粋しました。

対トンガ         22-0
対アメリカ領サモア  31-0
対フィジー        2-0
対サモア         11-0

決勝戦対ニュージーランド 6-1

フィジー戦を除いてそれこそラグビーのような結果です。日本でも天皇杯でJ1チーム対高校、の様な夢の対戦が実現することがありますが、18-0というのが最高記録で、国代表同士がガチンコ勝負でここまでの差がつくことは他に例がありません。実はアメリカ領サモアの正代表チームがパスポートに不備があって来豪できず、急遽とにかく選手をかき集めた結果、平均18歳、3人の選手が15歳、という急造チームであったことを抜きにしても、異常でした。



この試合でアーチー・トンプソンという選手が前人未到の1試合13ゴールという記録を打ち立てるのですが、ではこの最強オーストラリアのスターティングラインナップは、いえば・・・

GK マイケル・ペトコビッチ
DF ケビン・マスカット
DF クレイグ・モア
DF トニー・ポポビッチ
DF トニー・ビドゥマー
MF オーリオ・ビドゥマー
MF サイモン・コロッシモ
MF スティーブ・ホーバット
MF コン・ボートシアニス
FW ディビッド・ズドリリッチ
FW アーチー・トンプソン

ポポビッチ、ビドゥマーというサンフレッチェファンには懐かしいな名前も見られます。この試合にはオーストラリア代表歴代最多得点(45試合で29得点!)を誇るエース、ダミアン・モーリは出場していません。22-0で勝ったトンガ戦のご褒美ということで、ベンチでゆっくり休んでいます。その代わりに出場したアーチーがやっちまいましたが・・・

これを見て、あれ?と思われた方、こちらの最終プレイオフのウルグアイ戦の面子をご覧ください。

GK マーク・シュウォルツァー
DF ケビン・マスカット
DF ショーン・マーフィー
DF クレイグ・モア
DF トニー・ビドゥマー
MF ブレット・エマートン
MF ポール・オコン
MF ジョシップ・スココ
MF スタン・ラザリディス
FW マーク・ビドゥーカ
FW ハリー・キューウェル

ディフェンスラインはほぼ同じですが、GKそして中盤から先が全く違うチームになっています。どういうことでしょう?

日本でも一時期こんなことが問題になりましたよね?代表チームにおける海外組と国内組の軋轢。

ヨーロッパの主要リーグで戦っていたオーストラリア代表の主力組、もしくはその所属クラブは、オセアニア予選という明らかにレベルの落ちる試合の召集に応じませんでした。その結果オセアニア予選に参加したオーストラリア代表とは、国内リーグに所属していたメンバーが中心の、いわばBチームだったのです。ま、そうは言っても国内リーグを見続けていた小生にとっては、夢の様なNSL(Aリーグ以前の国内リーグの総称)オールスターチームだったんですが・・・

つまり、です。オセアニア予選を通じてチーム力を高めた代表は、予選トップで通過、という結果を出してすぐさま解散となり、最後のプレーオフの大一番はヨーロッパからその日だけ帰ってきた選手でぶっつけ本番、といういびつなことを続けていたんですね。

確かに、Bチームでこれだけ圧倒的に勝ってしまう様な相手に、わざわざ十何時間もかけてオーストラリアに戻ってこなければならない選手としては、やってられない、といいう心情はわかりますが、実際に帰ってこなかった選手への反発は当然ファンからもありましたし、予選を共に戦った選手からも、プレイオフになるとはずされる、という無慈悲な結末に対しての不満は多々聞かれました。
そして、ヨーロッパから戻ってきた選手達にチームとして練習する期間はそれほどなく、共に戦った実戦経験なども0に等しい、こんな状態では勝てる試合も勝てないのは当然、そんな空気が流れ始めたのです。

オーストラリアサッカー協会は選手や所属クラブの説得に走り回るのですが、その成果は芳しくありませんでした。答えはいつも同じです。

”レベルの低いオセアニア予選など、出る価値もない。むしろ怪我でもされたら困る!”

ここに至って、オーストラリアサッカー協会はひとつの結論に至ります。それが、オセアニア地区からもっとレベルの高い直近のアジア地区へと移ることだったのです。

8年以上かけてゆっくりと何度も交渉し、2005年、やっとのことでその成果が実るのですが、えー・・・結論から言います。お金で何とかしました!FIFA,UEFA,AFC・・・この辺の組織、お金さえあればどうとでもなります!

・・・そういう性質の悪い冗談はよしとして、2007年度のアジアカップ予選から晴れてオーストラリアはアジアサッカー協会の一員として、ほぼ互角なレベルの代表戦を行えるようになるのです。この決定は全国民、そして選手から大歓迎され、代表戦はすべてAチームで行えるようになりました。個人的には、おらがチームのエースが、そしてライバル達が集ってオセアニアで大活躍する姿をもっと、見てみたかったなぁ・・・

では、次回はオーストラリアにおけるスポーツ事情をお送りします!

2013年3月27日水曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その3 オーストラリアのサッカー界における移民事情

オーストラリアの建国は1788年。英国連邦の植民地として始まったこの国は様々な国からの移民によって発展してきました。当然、そのメインになったのはイギリス連邦、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなのですが、国が発展するにつれて、イタリア、ギリシャ、トルコ、などといったどちらかといえば貧国に属するヨーロッパの国々からたくさんの人々が夢を求めてオーストラリアに来ました。

その後、金鉱脈が発見されると移民は加速度を増し、どこから嗅ぎ付けたのか、中国人が現れ、ベトナム戦争が勃発するとベトナム、カンボジアから難民が。ユーゴスラビアの内戦ではマケドニア、クロアチア人が大量に押し寄せてきました。

現在ではIT産業に属するインド人の技術系移民、オーストラリア女性の結婚願望低下による影響でオーストラリア男性がタイ、フィリピンの若い女性と結婚し、芋づる式にその家族が、と東南アジア系の移民が増えています。あ、もちろん中国の富裕層が大量流入しているのは、どこの国でも同じですね。

そんな訳で、オーストラリアのスポーツ界にも様々な経歴を持った選手が数多くいます。


20世紀終わりごろに彗星のようにテニス界に現れた妖精、イェレーナ・ドキッチちゃんはクロアチア系です。どうぞ、ググってください。本当に可愛かった・・・

ゴホン、話に戻ります。彼女はまさにユーゴ内戦のせいで家族と共にオーストラリアに来た難民の代表格でして、彼女のおりなすシンデレラストーリは全オーストラリア移民少女の憧れでした。ですが、これがのちにおかしなことになるんです。

幼少の頃にオーストラリアに来た彼女は、オーストラリア人として青春時代を謳歌し、オーストラリアのエリート育成機関でテニスの練習に明け暮れ、瞬く間にオーストラリアを代表するテニス界の超新星として脚光を浴びました。ですが、西暦2000年、彼女は突然、メディアの前で祖国クロアチアの選手として活動することを発表したのです。コンフェデレーションカップ、という国対国の団体戦で、オーストラリアのためにプレーすることを拒否したんですね。これにはオーストラリア人大反発しました。どうしてこういう道を選んだのか、諸説あるんですが(オーストラリアの学校でいじめられていた、とか、コーチでもあった骨の髄まで生粋のクロアチア人であるお父さんのたっての願いであるとか・・・)、オーストラリアから逃げ出すようにして祖国クロアチアへ活動の場を移した彼女はみるみるその輝きを失っていくのですが、それはまた別のお話。


有名なサッカー選手ではイタリアの重戦車、インテルのクリスティアン・ビエリも実はオーストラリア育ちです。彼がまだ赤ん坊の頃に両親がオーストラリアへの移住を決め、ビエリもオーストラリアでサッカーを始めました。オーストラリアでも盛んなクリケット少年として育ったビエリ君は、父親の影響でシドニーにあったマルコーニ・スタリオンというイタリア人系のサッカークラブでサッカーを始め、そ大器のの片鱗を見せはじめるのですが、その才能がオーストラリアという辺境で埋もれてしますことを恐れた父親と友人から、イタリアへ行くことを勧められました。ま、その後は皆さんもご存知のはずですね。彼は結局世界でも有数のストライカーとして、イタリア代表にその名を歴史に刻みました。
こぼれ話ですけど、ビエリの弟、マッシミリアーノ(愛称はマックス。ジーナスじゃないっスヨ)はオーストラリアに残り、オーストラリア代表としてデビューしています。あまり活躍できませんでしたけど・・・

この様に、様々な背景を持つ選手が多いオーストラリア代表です。では、2006年当時の選手達を振り返ってみます。

GK マーク・シュウォルツァー
響きでわかると思うんですけど、ドイツ系です。つぁーってね。アーノルド・シュワルツェネッがーっとか。もう、あーといえば大体ドイツ。ちなみにまだ現役でして、最多代表出場記録更新中。

右SB ブレット・エマートン
英国系生粋のオーストラリア人。オーストラリアでキャリアを積んだ後、オランダはフェイエノールトへ。小野伸二のチームメイトとしてUEFAカップ優勝を引っさげ、プレミアのブラックバーンで過ごす。今は実家のシドニーに戻って、カズも短期で所属していたシドニーFCで余生を送っております。ちなみに今年ライバルクラブの西シドニーワンダラーズにかつてのチームメイト、小野伸二が入って大暴れしておりまして、ダービーマッチでは対抗心からか変にやる気を出してレッドカードを食らっておりました。愛いやつよのう・・・で、ちなみに彼もまだ現役代表なり

CB ルーカス・ニール
この人はほぼイギリス人です。何せ10代の頃からイギリスで生活して、そのキャリアのほとんどをプレミアで過ごしました。ブラックバーンにいた頃がキャリアの最高潮ではないでしょうか?何せ、リバプールのアイドル、ジェイミー・キャラガーの足を試合中にぶち折ったことで一躍有名になりましたから。クラブでは右SBを勤め、代表ではCB.2010年ワールドカップではキャプテンまでしていました。

CB クレイグ・モア
この人はスコットランド人。先祖がそうだったんですが、この人自身も10代でスコットランドに移住し、名門グラスゴーレンジャースのユースに入ります。その後順調にキャリアを重ね、最後にはレンジャースの砦を築いておりました。中村俊輔とは入れ違いでチームを去ったので対戦経験はないはずですが、彼がレンジャースに残っていたらセルティックにあそこまででかい顔されることはなかった、というレンジャースファン多数。強さとうまさを兼ね備えたCBの理想系でした。

守備的左SB トニー・ポポビッチ
サンフレッチェ広島にもいたんんで、覚えてる方もいるかな?彼はセルビア系2世(旧ユーゴ)。背がばか高いんで(193cm)、CBのバックアップでもありました。ドイツワールドカップの初戦、対ブラジル戦にて負傷退場し、それが彼のキャリア最後の試合となりもうした・・・本人は悔いなし、とか。戦場で散って本望とか、お前は武士か!

攻撃的SB スコット・チッパーフィールド
数少ないオーストラリア国内リーグ選手。まあ、スイスでもやってましたけど、キャリアのほぼすべてをオーストラリアのニューカッスル、という地方クラブで過ごした彼には結構思い入れがあります。ヒディング体制では左サイドバックでしたけど、本当は左よりの攻撃的MFです。祖父母がイギリスからの移民ですね。

守備的MF ビンス・グレラ
イタリア系移民の3世です。ユース代表、オーストラリアでのクラブ、イタリアでのクラブ、そしてオーストラリア代表、となぜかずっとチームメイトであるマルコ・ブレシーアノとは家族ぐるみで大親友だそうで。ちなみにWikiによるとイタリアへ渡った最初の仕事が、ユベントスのジネジーヌ・ジダンを密着マークすることだったそうな。・・・無理、と語っております。

攻撃的MF マルコ・ブレシアーノ
この人もイタリア系移民ですが、母親がクロアチア人。中盤ならどこでもできてSBもそつなくこなします。気がついたらゴール前にいる、そんなにくい男。

守備的MF ジェイソン・キュリーナ
攻守のバランスをとるのが絶妙だった。クロアチア系ですね。お父さんはオーストラリアでプロチームの監督をしています。親子鷹。

守備的MF ジョシップ・スココ
この人もクロアチア系。大して印象に残っていない位影の汗かき役。生まれはオーストラリアのド田舎です。

攻撃的MF ティム・ケイヒル
プレミアのエヴァートンでブイブイいわし、日本もだいぶ苦しめられたこの人、お父さんはアイルランド系、お母さんがサモア人、となんとも興味深い家系です。彼の母系のいとこはみんなラグビープレイヤーです。どおりで当りにむちゃくちゃ強いはずだ・・・

CF マーク・ビドゥーカ
いかつい彼もまたクロアチア系。やっぱりどうしてもリーズユナイテッドでの無双っぷりがまず先に来て、代表では実はそれほど結果を残していません。

WG ハリー・キューウェル
大正義ハリーはイギリス人、オーストラリア代表でプレイするイギリス人です。ヤングリーズを象徴するカリスマで、そのドリブルとシュートはまさにカミソリのごとき。何故彼はオーストラリア人なんだ、とイギリス中のサッカーファンを嘆かせた伝説を持つ(実際、イギリスサッカー協会は彼をイングランド代表にするため、FIFAに国籍規定の変更を求めたとか)彼ですが、そのことに関しては実は本人が一番ボヤいていたとか。ま、十代前半からずっとイギリス住まいなんで、わからんでもない。ユースのころにオーストラリア代表として試合をしていなければイギリス代表もあったのに・・・でも、オーストラリアサッカー史上最高のプレイヤーとして、いつも最高のプレイを見せてくれました。

CF ジョン・アロイージ
イタリア系ですな。何か突出した武器があるわけでもないのですが、かと言ってなんの弱点もない、計算できるフォワードでした。ちなみに5カ国のリーグを渡り歩いた苦労人

CF アーチー・トンプソン
ニュージランドの出身です。お母さんはパプアニューギニア人、というミスターオセアニア。実はFIFA公式レコードの持ち主で、なんと、ワールドカップ予選にて1試合13得点!おそらく2度と破られることはないでしょう・・・

控えGK ゼリコ・カラッチ
2m越えの長身キーパーでした。オーストラリア代表では控えでしたけど、この人なんと、あのACミランの正ゴールキーパーでした!ま、GKのほとんどが怪我、もしくは移籍でいなくなり、ACミランには一時期この人しかキーパーがいなかった、というオチがあるんですが・・・でも、ACミランに籍を置いていた、というだけでもその実力がうかがい知れる、クロアチア系。

控え 攻撃的MF マイル・ステリオロフスキー
あえて出しました、この舌を噛みそうな名前の彼。スキーだからロシア系か、と安易な気持ちでし調べたら、マセドニア系(旧ユーゴ)でした。

と、まあ、長くなりましたが、ドイツワールドカップ、オーストラリア久々の登場で大躍進をしたわけです。今、こうしてみると、いい選手がそろっていたな、と、ま、日本も負けましたけど、監督は勝負師ヒディングでしたし、今思えば順当な結果だったのではないか?そんな風に思います。



そして! もうちょっと続きます。お付き合い願いたい。

日本中が悲嘆にくれる中、このドイツ大会で実は因縁の深い戦いがありました。わかりますかね?見ていただくとわかるのですが、オーストラリア代表、結構な数のクロアチア系選手、そしてイタリア系選手がいるんです。そして、来ました、オーストラリア対クロアチア!

みなさん、この時のクロアチアメンバー、よーくプロフィールを見てください(うぃきへのリンクです)。この中に一人、あれ?という選手がいます!

ジョシップ・シミュニッチ


この選手が問題のユダです。彼、生まれがオーストラリアの首都キャンベラ。はい、オーストラリア人です!クロアチア系の両親を持つ彼、オーストラリアが懸命になってワールドカップ出場権を戦っているとき、オーストラリアからの代表初召集を無視して、ワールドカップ出場が確実視されていたクロアチア代表キャンプに出向いてしまうのです。あいたたたたたー・・・

彼はサッカー選手としてワールドカップに出るのが夢だった、その可能性が高い国を選ぶ権利があっただけと言い訳しておりますが、オーストラリア全国民を敵に回した彼、オーストラリア戦に出場しております。クロアチア系移民の選手達に加えてこれですから、血みどろな戦いになるや、と思いきや、これが激しいけれどクリーンな戦いを繰り広げ、オーストラリア、見事に勝利。決勝トーナメントにこまを進めました。敗れたクロアチア代表のシミュニッチ君、予選グループ敗退・・・いったいどんな気持ちだったのでしょうか・・・


そんなオーストラリア代表も、決勝トーナメント一回戦で優勝国、イタリアをあと一歩のところまで追い詰めるのですが、これまで。姿を消すのです。


今日はここまで!

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その2 悲願のワールドカップへ!

ああ、これで今日はブログ3更新目です。いくら非番とはいえ・・・いや、ここは勢いで書かないと!

と、いうわけで、2006年!日本にとっては悪夢の、オーストラリアにとってはビールが美味しい!そんなワールドカップがやってくるのですが、さて、オーストラリアはその当時はどんなチ-ムだったのでしょうか?


前回の悲劇の後、悲しいことにカリスマ、ロビー・スレイターが引退を宣言しました。ドリームチームは解散、と思いきや、プレミアリーグでトップ3に選ばれたスーパーGKマーク・シュウォルツアー、北の巨人グラスゴーレンジャースで守備の要を担ったクレイグ・モア、中盤のダイナモ、ティム・ケイヒル、小野伸二と共にフェイエノールトでヨーロッパでUEFAカップを制したハリーの同級生、ブレット・エマートン、イタリアの潰し屋ビンス・グレラ、覚醒し始めたゲームメーカー、イタリアはパルマのマルコ・ブレシアーノ、頭角を現しはじめたハイタワー(現在名古屋グランパス所属)ジョシュア・ケネディ、などと、前回にもましてドリームチームがさらにパワーアップ!

そして、なんのいたずらか、プレイオフは因縁の相手、またもやウルグアイと相成りました。前回と違うのは、初戦がウルグアイで行われる、ということ。これ、実は重要でして、ホームを後に残しているチームは少し有利なんです。まずはアウェイを守りきって、ホームに全力を尽くせばいい、となりますから、精神的に、ね。

オーストラリアは早々とアルゼンチン入りしてキャンプを張るのですが、ここでウルグアイサッカー協会、オーストラリアが怖かったんでしょうか、策を弄してきます。直前になってオーストラリアでの試合日を変えろ、といってきたんですね。直前にウルグアイの首都、モンテビデオで暴動が起きまして、ちょっと治安に問題があるから、ごめんと。その日のためにすべとの準備を整えていたオーストラリアの答えははもちろんノーです。そうするとウルグアイ、今度はこう言ってきました。

「じゃあ、ウルグアイでの初戦、夜の9時開始ね」

これやっちゃうとですね、当日手配していたのオーストラリア直行のチャーター機に乗れなくなるんです。民間機を乗り継ぎの上で帰るしかなくなるんですね。オーストラリアはもちろん抗議するのですが、ウルグアイ開催試合なのでどうしようもありません。

と、こ、ろ、が・・・やっちゃいました!ウルグアイ、自分達が手配していたチャーター機の時間をずらし忘れました!おばかさーん!

「・・・ごめん、やっぱ時間通りやろ」

などといっても後の祭り。結局、FIFAの仲裁が入り、ウルグアイでの試合が午後6時に開催されることが強制決定され、オーストラリアは予定通りチャーター機で、ウルグアイ選手は泣く泣く民間機のエコノミーでオーストラリアでの第2戦を迎えることになるのです。


そんなすったもんだはあったものの、そこは腐っても南米の古豪ウルグアイ。初戦を1-0と、きっちり勝ってきます。あとは90分、守りきるだけ。地元オーストラリアは8万人のファンの声援を受け、鬼の形相で攻めたてました。ブレシアーノがボールをまわし、ハリーがドリブルでサイドを切り裂く。ビドゥーカがトップでボールを納めて、モアとシュウォルツァーがカウンターをことごく止める。息を呑む緊張感の中、歓喜は訪れました。

2005年11月12日 試合開始後35分過ぎ、中盤の要、マルコ・ブレシアーノがゴール前の混戦に飛び込んで先制!

この後、2試合合計、同点のまま試合は終わり、PK戦の末にオーストラリアは30年の歳月をかけてワールドカップへの切符をようやくもう一度手に入れます。この時のスタジアムは本当に地響きを立てていました。移民の国、オーストラリアが歴史上初めてひとつになった瞬間でもあります。


では、次回ではその移民について語りましょう。

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その1 オーストラリアサッカー、ワールドカップ挑戦の歴史

さ、オーストラリアサッカーの歴史を勉強してみましょう!

元々が英国移民によって始まった国ですので、サッカーは古くからあります。よく犯罪者の子孫だ、なんて馬鹿にされますけど、犯罪者と言っても政治犯などの軽犯罪者、その中でも建築技術などの職人さん達が主に選ばれて強制移民させられているんで、マッドマックスのような救いようのない世界ではなかったようです。ま、どこの国にもどうしようもない連中はいるんですけど・・・


ま、そんな訳で、1911年にサッカー協会が設立されまして、ワールドカップへの挑戦は古くから、ペレのいた1966年には結構いいところまでいきました。


で、ワールドカップへの初参戦はなんと日本よりも早い1974年!西ドイツ大会で、なんと開催国でチャンピオンの西ドイツ、そしてライバル東ドイツと同組になってしまう、という悲劇的な組み合わせ。1分2敗、という結果に終わりました。くしくも日本の初参加と同じ結果ですね。

オーストラリアの地理的な不利、というものが呪いのようにオーストラリアに降り掛かるのはこのあと30年続きます。

 
そもそもオーストラリアはオセアニア地域に組み込まれていまして、これはオーストラリア、ニュージーランド、そしてサモアやフィジーなどの南太平洋諸島によってなるサッカーの組み分けになります。FIFA内における地位も低く、コンフェデレーションカップやワールドクラブチャンピオンシップだけは別として、ワールドカップ予選では一度も出場枠をもらえた事はありません。なので、オセアニアチャンピオンはいつも南米、ヨーロッパなどのワイルドカードとのプレイオフの結果次第、というとても高いハードルを未だに課せられています。

そのせいでこの1974年後はずっと低迷期が続きまして、はや20年。1994年アメリカワールドカップの予選ではオーストラリア史上最強(凶でもいいです)のプレイヤーとして伝説に残るロビー・スレイターを擁してオセアニア予選を圧倒的な強さで勝ち抜き、北中米のワイルドカードとして登場したカナダとのプレイオフを激戦の末制したオーストラリア代表に国民が沸き立つ中、無常にもFIFAはプレイオフをもう一試合用意してくれました。それが南米4位、ディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンでした・・・

1998年。日本が激闘の3位決定戦を延長戦ののち制し、初出場を決めたフランス大会。今回のプレイオフはその日本の相手、アジア4位イランです。ヨーロッパや南米にくらべたら格段に落ちる相手。オーストラリアの攻撃を率いるのは、当時破竹の勢いで英国を、そしてヨーロッパを席巻していたヤングスーパーリーズユナイテッドの象徴、若きアタッカー、ハリー・キューウェル!そして同チームの無骨なストライカー、マーク・ビドューカ!これはいける!誰もがそう思いました。イランでのアウェー戦、1-1!ホームでは2-0でリードをするチームを見て、オーストラリアサポーターは歌いだしました。フランスへー行こー!フランスへー・・・・

・・・それが沈黙に変わるまでそう時間はかかりませんでした。オーストラリアサッカー史上最高の観客数を記録したこの試合の結果は、2-2。アウェイゴールルールでイランがまさかの滑り込み。

それでも、まだ20歳そこそこのハリー・キューウェルを擁するオーストラリアには希望がありました。俺達にはハリーがいる!その頃有名になりだしたハリー・ポッターとオーストラリアの愛称になぞらえてOz(オズ)の魔法使い、と呼ばれる若者の率いるオーストラリア代表、2002年、ワールドカップ・ジャパンの予選に挑みます。そしてプレイオフを迎え撃つは、相手は知る人ぞ知る、エル・チノこと、当時イタリアはセリエAで活躍していたファンタジスタ、アルバロ・レコバを擁するウルグアイでした。ところがどっこい、この当時のオーストラリア代表は前述のマーク、ハリー、ロビーに加え、マーク・ボスニッチ、スタン・ラザリディス、オーリオ、トニーのビドュマー兄弟、ケビン・マスカット、などなどプレミアリーグのスターティングメンバーに並び立つ選手が勢ぞろい、史上最強のドリームチームだったのです!そんなチームがホームで1-0と先勝。ああ、またお祭り大好きなオーストラリア人の悪い癖が・・・もう勝った、とばかりに朝まで飲んだくれてました・・・

ウルグアイのホームでけちょんけちょんにされたオーストラリアはついに不退転の決意で2006年ワールドカップに挑むのです!

続く

ワールドカップ2014・アジア予選も佳境に入ってまいりました!オーストラリアの現在は・・・

エスパルスの現役選手が一人もいないのが残念で仕方ありませんが、そこは岡ちゃんがいるだけでもよしとしましょう。彼が入団したとき、誰が今の彼の姿を予想したでしょうか?小生、正直彼は1,2年もしたらJ2に貸し出されて細々と消えていくもんだとばかり思っていました!長沢君が将来的に日本代表かな、なんて夢を抱いておりました!岡ちゃん、ごめん!

日本はまたも世界最速で予選突破を決めると思ったんですが、負けちゃいましたね。日本にはあと10年は勝てないぞ、と思わせるような激勝をしてほしかったんですが、これで中東の国々は日本に対して何のプレッシャーもなく戦えるようになってしまいました。おい、日本に勝てるぞ、と。予選突破に対して楽観視している人も多いと思いますが、これ、長い目で見たときボディーブローのように効いてくるんじゃないのかなぁ。次の世代の選手たちが大変だぞ。

ま、それはともかく、2位争いが混沌としてまいりました。何せ、小生の住む国、ひそかに応援しているオーストラリアがホームでオマーンにまさかの引き分け!日本に勝ったヨルダンが勝ち点7で2位に躍り出ました。日本以外のチームが勝ち点5から7で団子状態であります。この予選、突破に向けての最低勝ち点は12だと思っていたので、それに向けてシミュレーションしてみましょうか。

オーストラリアの勝ち点は6。残り3ゲームですから、2勝1敗、もしくは2勝1分は最低限必要です。幸いなことに、次は日本とのアウェイ、そしてヨルダンとイラクのホーム2試合です。日本は残り2試合を1分1敗でもいいわけで、次のオーストラリア戦はホームで引き分けて、ワールドカップ本選行きが決まる。つまり、オーストラリアの顔を立てていただきましょう。その上でヨルダンとイラクをホームでたたく。うん、完璧なシナリオです。

オーストラリアにはまだあの伝説となったドイツワールドカップを経験した猛者達がいます(え、まだいるの?という突っ込みは勘弁・・・)。1ゲーム多く、そしてホームゲームを多く残しているのも好材料。まだまだ、オイルの国々には自国開催まで待ってもらいましょう!

2013年3月26日火曜日

エスパルスサポーターよ、落ち着け!まだ慌てる様な時間じゃない

わかりますけどね。いくら捨て試合のナビスコカップ初戦だったとはいえ、相手がジュビロでしょ?けちょんけちょんにされたもの。サポーターの怒りもわかる。

湘南戦の後にも言いましたが(こちらを参照のこと)、これ、フロントの問題なんですよね。明らかに戦力ダウンしているのに、タイトル狙い、だなんて景気のいい事を言うから現実とのギャップが出てくる。

はっきりシーズン前に明言してくれれば良かった。今年はゴトビ監督の下、選手育成を第一にして、J1残留を目指します。お金がたまるまでは健全経営で、余裕ができたら優勝を目指します、と。

2年前のものになりますが、こちらをどうぞ。
2010年度クラブ収支

はい、エスパルス、黒字でした。皆さんもうご存知だと思いますが、金のあるクラブは強い。これ、世界共通です。人件費=戦力でいうなら、エスパルスはJ1で7位でした。では、リーグでの成績はどうだったのか、と言われると、6位です。長谷川体制の集大成として挑んだ天皇杯は準優勝。順当だと思います。

この収支表は非常に面白いので、他にも見ていきましょうか。

広告収入 リーグ11位。ま、大企業のサポートがないのを考えれば妥当でしょう。まだまだ営業努力が必要ですね。ちなみにジュビロは1.5倍。ヤマハがらみかな?

入場料収入 これ、浦和が異常です。他はどんぐりの背比べ。地方クラブとしては動員数が多い新潟の収入がどうも低いのはやはり無料券乱発とチケットの安さでしょうか?エスパルスは良くやっているほうだと思います。

その他の収入 なんとリーグ3位です。グッズ、会員費、それほど他クラブと比べてエスパルスが優位に立っている部分が思い当たらないのですが・・・内訳が知りたいですね。

事業費 これ、なんでしょう?エスパルスはリーグで4位。中堅クラブのわりにやたら高い数字をたたき出しています。ドリプラ?・・別会社か・・・これも内訳を見ないとどうにも言えませんが、二酸化炭素排出権購入費がからんでいるのでしょうか?これもどういう経緯でそんなことになったのか未だに不思議なのですが、下館さん、事業費内訳とともに調べてください。

ま、そんな訳で、長谷川体制ですら財政規模が中位クラブだったわけで、現在はそれより下、と見てまず間違いない。広島のようにユース・トップ一貫育成体制でもなければ柏のように外国人スカウトに目利きがあるわけでもない。その上、過去2年のゴトビ体制でどれだけチームのベースができたのか、と見ても選手・コーチともにほぼ総入れ替え。これでどうすればタイトルを、などという根拠のない言葉が出てくるのか・・・

気持ちはわかるんですけどね。選手や監督にしてみたら負けてもいい試合などあるわけないわけで、目標は全勝でタイトル総なめ、選手全員が日本代表に選ばれ、ワールドカップへ、と。

だから、日本にいるサポーターの皆さんにはその辺、わかってほしい。目標として景気のいいもの掲げましたけど、実は違いますよ、と。あと2.3年は選手育成の年ですよ、と。ゴトビ監督は限られた選手層と予算の中でそれなりによくやっていますよ、と。

エスパルスを応援してくださる方々は、エスパルスが常勝軍団だから応援しているわけではない。J2に落ちなければクラブの黒字は保て、エスパルスは存続します。いや、むしろJ2に落ちても黒字を保てるくらい基盤のしっかりしたクラブになってほしい。それにはクラブの確固たる理念と経営方針、そしてフロントとサポータの信頼関係が大切だと思うのですが、今のところ、どちらもまだまだみたいですね。残念だ。




でもね、ゴトビ監督。あなたは1つのミスを犯した。リーグ降格とか関係ないから、若手育成のためにカップ戦を使うのはいい。でも、静岡ダービーでそれやっちゃだめでしょ!英国のエヴァートンや昔のマン・シティーのように、優勝はできないかもいれないけど、ダービーだけは負けない、せめてそれくらいの気概は見せないと、そりゃサポーターも怒るわ。

あー、サカつくやろ

2013年3月24日日曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その4

それではこのガイアに所属した各選手の個人的なコメントを掲載していきます。掲載順はその選手に対する思い入れの順だと思ってください。

長与千種



まあ、この人からはじめなくてはいけないでしょう。ガイアジャパンといえば、良くも悪くも長与千種。この人に始まり、この人で終わりました。ガイアの解散について諸説あるようですが、長与選手の引退、というものが強く関係しているのは間違いありません。


印象に残っているのが、加藤園子選手との一騎打ち。この試合で加藤選手が思い切って長与選手に対して自身の必殺技、ドラゴンスープレックスを放つのですが、何しろ長与選手の体が大きいため不完全な形に、しかも加藤選手が後頭部をしたたかに打ち付けるのが傍から見てもいかにも危険でした。それを受けた長与選手は、痛そうなふりなど一切せずすぐさま立ち上がって、逆に加藤選手に対して完璧なドラゴンスープレックスを極めたのです。お前、DSはこうやるんだ、と言わんばかりに。

基本的に彼女はプロレス馬鹿だと思うんですが、こういう教え子おもいな所がありまして、たとえば、前述したとおり、ガイア改などというどちらかと言えばパンクラス的なルールを持ち込んだときも、後輩のKAORU選手や山田敏代や一期生の一部がいまいち伸び悩んでいた頃でしたし、ガイアのゆっくりしたレスリングに対してハイスパート600なんていう10分決着ルールを始めたのも、思えば他団体選手との交流が始まって違うプロレスのペースに選手をなれさせるため、などと今思えばそんな気がします。レスラーの技術向上や強さを追い求めていたように見えて、以外にやることに深い意味がある、そんな選手でした。

続く

2013年3月21日木曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その3

度肝を抜かれた、という言い回しを使うならば、この時ほどそれが的確である瞬間は、これからの人生でまたあるかどうか。それほど衝撃的な旗揚げ戦でした。

長与千種、KAORU,ボンバー来島、いや光。このあたりのベテラン選手がそれなりの試合を見せているのはわかるのですが、この旗揚げ戦がデビューとなる新人選手たちの技術の高さ、そして気迫。一気に引き込まれる自分にとまどいながらも、小生、時間の経つのを忘れて画面の向こうの選手たちを応援していました。


今までの女子プロと何が違ったのか、と言われれば、おそらく一番いあがるのがそのプロレスに対する思想でしょう。この時期、またその後にも数多くの団体が現れ消えていくのですが、そのほとんどが強面の悪役レスラーに対する、アイドルレスラーという姿勢であったのに対して、ガイアのプロレスは、まさにプロレスでした。簡単に言ってしまうと、全日本プロレスの試合が女子選手によって行われている、とでも言えばいいのでしょうか。ゆっくりとした組み立てから確固たる技術に根ざした受けのプロレスでございました。

それは衝撃でしたよ。それまでの女子プロ、と言えば、髪の毛をつかんでの取っ組み合い、いわゆるキャットファイトみたいなので、極め技も見栄えがいいけど説得力に欠けるものが多かった。その点、ガイアのプロレスは本当の意味でプロのレスリングでした。

当時から賛否両論ありました。女子が男子的なプロレスをしてどうする、的な。ですが、それまで男子のプロレスばかり楽しんできた小生にとって、ガイアのプロレスは女子プロレス入門用にまさにうってつけでした。

こうした脅威の新人と呼ばれた一期生を始めに、数多くのフリーランス選手たちが作り出す夢の対決が売りだったこの団体も、その内パンクラスルールっぽい試合をしたり(打撃関節のみでフォールなし)、10分で決着をつけるハイスパートルール、など、色々と飽きさせません。一時期、団体抗争、またはチーム抗争の様なありきたりの展開に落ちそうなところを、長与選手の一声でもう一度、個人と個人の勝負に立ち返ってみたり、切り替えの上手な団体でした。

ま、そんなガイアジャパンもその切り替えのよさがたたって2005年に解散するのですが、それがまた気持ちのいい程にきれいな終わり方でした。

よくスポーツ選手の引退には色々な形がございますな。最後まで現役にこだわってずるずると、そして気づいたらいなくなっている選手。怪我のせいでやむなく引退。衰えを感じつつ有終の美を飾り、スッパリやめる選手。そして、キャリアの最高潮で惜しまれながら辞める選手。

当時は女子プロレス戦国時代を迎えておりまして、全女という一大帝国が消滅したあとはそのOG達が各地で新団体を旗揚げ、新しい覇権を競っておりました。ですが、現実は厳しいかな。そのほとんどが1,2年ほどで消え去っていくのです。その点、おそらくガイアは衰えを見せながら、惜しまれつつ辞める事ができた稀有な団体なのです。

このあたりはほかのサイトやプロレス誌に書きつくされたことですから、詳しいことは割愛しましょう。次回からはこのガイアに所属した選手の個人的な感想と意見を、本当に書きたかったことを書いていきます。

2013年3月18日月曜日

エスパルス、またもや勝利ならず!

まあ、海外からの発信となっていますので、我がエスパルス以外のチームの内情には非常に疎いわけなのですが、それにしても、湘南の選手、誰だ!?一人として名前と顔が一致しない!坂本君はどうした?

その昔はベルマーレ平塚と呼ばれていた頃もあって、あの中田英寿、実はベストイレブン名塚善寛、鹿島のイメージが強い日本代表右サイドバックの奈良橋晃、その代表で10番を背負った、左サイドバックでありながら得点王になる、と豪語した岩本輝雄。いぶし銀の田坂和昭、むちゃくちゃ点を決めていたのになぜか代表に縁のなかった野口幸司、日本代表の面白いおっちゃん、名控えGK小島伸幸、日本に帰化したロペス・ワグネル、韓国代表の伝説的DF洪明甫、などと、さすが元名門のフジタを母体とするだけはある、そうそうたる面子がそろってました。

その後、フジタが経営不振からメインスポンサーをおりると転がる転がる。あっという間に転がり落ちて、今では当時の見る影もないJ2の中堅どころに落ち着いてしまいました。もう十年以上たちますが、未だに純粋なクラブとしての経営は落ち着かないようで。好選手は皆、すぐさま他チームに引き抜かれ、失礼ですが、J2B選抜、もしくはJ1出場機会のない若手のサテライトチームのような飛車角落ちのメンバー模様。ほんと、聞いたことのない選手ばかりだ。ちなみにハイプレッシャーからの全員攻撃、全員守備が持ち味だそう。努力と根性で何とかするぞ!

さて、そんなチームとの対戦、ということで、ゴトビ監督はバレーと瀬沼のツインタワーでパワープレイに出ました。清水のカラーから言うと、サイドを使いながらボールをまわして、押し込んでからのクロス、という形が多いのですが、この日はもうDFラインからロングボール。これには湘南も面食らったようで、結構いいペースだったようです。この辺はゴトビ監督の策士たるや、面目躍如。

ま、そんな訳で、1-1の引き分けでした。なにも言うことありません。タイトルを狙うのであれば横綱相撲で勝って当然の相手だと思いますし、かといって、新しいシステムや選手を試したわけでもない。勝ちに行って策を弄した挙句に引き分けなんで、ねぇ?

機会があればフロントの方にお聞きしたい。5年後のエスパルスはどうなっていますか?今いる選手を育てて本気で優勝争いのできるチームにするんですか?それとも今までのように、給料の高くなった選手は放出して、育った選手は引き抜かれ、この湘南のようなチームのように細々と暮らしていくのでしょうか?もしそうなら、J2に降格した際のプランを早い内に検討されることを願います。

なーんちって

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その2

小生にとっての女子プロレスとは、青と赤の水着を着た女の子たちが世にも恐ろしい女性軍に血みどろのボコボコにされる。幼き頃に垣間見た、まあ、俗に言うところのクラッシュギャルズのイメージが強かったのです。やっている本人達には失礼ですが、それはひどかった。興行、というよりは、見世物ですな。


世間の人気はすごかった、と言う記憶があります。調度小生の姉の年代くらいにはもう大ブーム。ベビーフェイスとヒール、というわかりやすい構図に戦うお姉さま。若い女性の間では人気が爆発して、レコードまで出していましたから、もう最高でしょう。

ですが、小生の幼き心には響かなかった。幼過ぎたたのかもしれませんが、むしろ新日本プロレスでプロレスをかじり、全日本プロレスでやっとその醍醐味を知った小生でありましたから、プロレス心ついた頃の女子プロレスと言えば、キューティー鈴木、という選手がそのアイドル顔負けのルックスで多少露出される、もしくはミスター女子プロなどという珍妙なあだ名を持つ、神取忍だけで、どちらかと言えば斜陽の時期を迎えていたのです。

ま、そんなせいもありまして、女子プロレス、といえば、良くも悪くもどうにもマニア向け、という先入観があったんですな。そこにあらわれたのが、そのG-PANICという番組.

本当にたまたまだったのですが、くしくもその番組は新しくできた女子プロレス団体の旗揚げ戦の模様をお送りすると言う、との事。

何気なしにポテトチップスを片手に画面を眺めていたところ、あれ、この人どっかで見たことあるぞ、と。それもそのはず、その団体を立ち上げた人物こそ、あのクラッシュギャルズで一世を風靡した長与千種その人でありました。聞くとこころによると、この団体に所属するほとんどの選手はその長与さんが育てたらしい。


へえ、そうなんだ、この人も長いよなぁ、などと、長与選手が一度引退したことなどもその当時は全く知りませんでしたので、小生、むしろ、まぁ一丁見てやるか、などと妙に上から目線であったのを覚えています。

続く

2013年3月17日日曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その1

いやー、昨日は仕事帰りに変なことを思いついてしまったものです。大層なテーマで投稿してしまいましたが、30分くらいの妄想の産物ですので、皆さんあまり本気にしないでください。

 
アヤックスに似ている、と言ってピンとくる人はどれくらいいるのだろう?いや、それよりも表題にある「GAEA JAPAN」とはなんぞや、と。
 
小生、大学時代は地元を離れ、山の奥地で暮らしておりました。民放は2チャンネルしかない様な僻地でございますゆえ、ケーブルテレビがかなりの割合で各家庭に普及しており、小生、もっぱらESPNなどの衛星放送をケーブルテレビ経由で視聴する毎日。大学に参るのは小生の気に入った講義がある日のみで、それ以外はギターの弾き語り、もしくは海外サッカーの視聴に明け暮れておりました。
 
その当時はイタリアのセリエAが最高峰のリーグとされ、その視聴はWOWOWなどの有料衛星放送に限られており、このケーブルテレビで視聴できる海外サッカーといえば、もっぱらオランダリーグのみ。なぜこんなマイナーリーグを見ねばならんのか、などと憤ったものですが、これが意外と面白い。
 
倉敷保雄さんという、今でこそ日本におけるサッカー実況界の第一人者と言われる方がおられるのですが、このESPNのサッカー放送の実況を担当されていて、その落ち着いた語り口に聞きほれたものです。
 
さあ、一試合終わって一息つくと、次の番組が始まる。たいがいの場合、オランダリーグのあとはNFLの試合中継が始まるので、アメフトに全く興味のなった小生、チャンネルGAORAに変える。このGAORAと呼ばれるチャンネル、主にスポーツ関係の試合やニュースを放送する中、どういうわけか吉本新喜劇を流すんですな。恥ずかしながら小生、新喜劇が生み出すお約束の笑いにはまってしまいまして、毎日欠かさず見ておりました。そんなある日、ある番組が目に留まりました。
 
”GーPANIC”
 
と申します。
 
続く

2013年3月16日土曜日

地球温暖化の真実とは? メタンハイドレートは日本を救う?

いやー、昨日は庭の掃除をあえて昔話風に語ってみる、などという新しい試みにチャレンジしました(こちらを参照のこと)。変に凝ろうとすると訳がわからなくなる、ということでわかっただけでもよし、としましょう。

実はあの投稿には、日の目を見なかったオチ、というのがありまして、最後には、

あれー、余計なことまで刈ってしまった!

と、髪の毛を徐々に坊主頭にするはずだったんですが、それはやめて、と奥さんに止められてしまいました。


さて、と言うわけで地球温暖化現象です。

ま、それがどういう現象であって、我々にどのような影響を与えるのか、ほとんどの方がご存知でしょうから、それは割愛いたします。知らない方、もしくはもう一度復習したい方はWikiでどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96

さて、結論から申し上げます。地球温暖化現象とは、人類史上最高のペテンです。おそらくは一時期、世界を揺るがした伝染病パンデミックと並ぶくらいの大嘘です。

私は科学者ではないので気温がどうだ、、二酸化炭素がどうだ、などどデータは出せませんし、出す意味がない、と思っています。

なぜなら、今まで世界中が叫んできた地球温暖化問題は、その本質が全く別のところにあるからです。

それでは、振り返ってみましょう。そもそも地球温暖化現象が叫ばれ始めたのは90年代前半。その当時は化石燃料の枯渇が人類の深刻な問題として現実的なものとなってきました。それ自体は70年代からとりだたされていたのですが、各国、世界中を堀り歩いてみた結果、どうやら、本当らしい、と気がつき始めたのがこの頃。なにせ、人類の原油消費量が生産量を上回ってしまっていたのですから、さあ大変。しかも、湾岸戦争によってその安定供給にも疑問がもたれていました。


同じ頃、世界各国で原子力発電が始まっていたのですが、それに欠かせないウラン、これも残り100年分くらいしかないことがわかってしまうのです。

そんな中、新たに人類が直面しなくてはならない問題、地球温暖化現象とそれに伴う数々の災厄。これらは瞬く間に世界中を駆け巡り、国家間を超えた協力体制を築き上げ、京都議定書なるものまで作られました。

はい、ここまではよろしい。まあ、言いだしっぺのアメリカが実は二酸化炭素の最大の排出国でありながらその後大した努力も見られなかったり、排出権の購入とか、胡散臭い詐欺まがいの行為を日本がさせらるはめになったり、色々と疑問はあったのですが、人類が一丸となって行く様は見ていて気持ちのいいものでした。

ところが、です。2005年、京都議定書の執行では課題であった数値目標の達成有無があやふやになり、そして2007年のバリ会議に至っては今後の数値目標を設定しない、など、一気にトーンダウンしていくのです。地球温暖化は全く解決の糸口すらみいだせていないのに、ですよ!



同じ頃ですね、いわゆるBRICsと呼ばれる新興国の躍進がありました。彼らはかつての日本と同じように急激な発展を遂げて、新しい産業によりどんどん豊かになっていったのですが、もちろん、そこはかつての日本と同じ、環境を犠牲にしていた側面があったのです。ブラジルとロシアははジャングルを切り倒し資源を掘り、中国、インドは化石燃料を効率悪く浪費するなど。それに対して、世界はどう反応したのか?非難の嵐であったのか?違うんです。むしろ積極的に投資しているんです。もっとやれ、と。

これは非常におかしな話で、いくら自分さえ儲かればそれでいい、なんて思っている多数の投資家やファンドでも、世界大破壊を促進するような行為を各国が黙ってみているはずがない。いや、見ててはいけないのですが、どうやら各国むしろ積極的に推進しているらしい。あれ、これはおかしいぞ、と思ったわけです。

では、この頃、何が起こっていたのか、と、いうことなんですが、ここで注目したいのがアメリカ。この国で革命が起こります。はい、今までは皆さんご存知、シェールガス革命

 
アメリカでこのシェールガスの安価生成法が確立されたのが2007年です。それ以降、地球温暖化がほとんどとりだたされなくなりました。いったいどういうことでしょうか?

このシェールガス、その存在が噂されるようになったのも、実は90年代。ですが、その研究と採掘は中々進みませんでした。なぜなら、誰もわざわざやりたがらなかったからです。ところがどっこい、地球温暖化が問題化すると、あっという間。

つまり、地球温暖化現象とは、危機を煽って新産業、新エネルギーへの転換を図るための隠れ蓑だったのです。

1970年代から20数年、化石燃料の枯渇がずっと叫ばれていたにもかかわらず、その対応は遅々として進みませんでした。それが地球温暖化が叫ばれるようになってからは再生可能エネルギー、もしくは新エネルギーに対する投資は数十倍に跳ね上がり、わずか十年足らずでその実を結ぶことになります。

日本でもメタンハイドレートの採掘に成功し、数年後には安価安定供給が噂されています。他国の横槍が入らない限り、おそらく日本はその技術を確立し、一躍資源立国となるでしょう。

さて、ここで質問です。

シェールガス、メタンハイドレート、ともにその本質はメタンガスです。とある学者さんの研究報告によると、メタンガスの地球温暖化に対する温室効果は天然ガスの数十倍であるそうで。これらの採掘は世界を急速に温暖化への道へ押し進めるでしょう。近い内に生態系は破壊され、大陸の8分の1が海の底に没します。

さあ、あなたはそれでもこの2大新エネルギーを歓迎しますか?

2013年3月15日金曜日

熱帯地方に住むことの現実 芝刈り編

むかーし、昔ある所に、お父さんとお母さんがおりました。
 
ある日、お父さんは庭へ芝刈りに、お母さんは家でゴロゴロしていたそうな。
 
お父さんが庭に到着してみると、あらびっくり。芝生は生え放題。見るも無残な姿と成り果てておった。
 
 
お父さんはどうにも困って、身をかがめて芝生を眺めておると、どこからともなく
 
ギーガラガラ、ギーガラガラ
 
と音がしてきよった。
 
 
お父さんがふと見上げてみると、そこには珠のように可愛らしいオジートがおったそうな。
オジートはお父さんにこう言った。
 
「僕はガソリンや電気モーターで動くわけじゃないけど、お父さんのお家の小さな庭ぐらいならきれいにしてみせるよ!」
 
 
お父さんはたいそう喜んで、オジートを迎え入れたそうな。
 
 
お父さんがオジートと戯れていると、お母さんもそもそと出てきよった。
 
「あら、楽しそうじゃない。私にもやらせてよ」
 
 
オジートは止まってしまいました。
 
「僕、もうお腹一杯だよ。もう動けないよ」
 
 
お父さんがオジートのお腹をきれいにしてあげたところ、オジートは喜んでまた活き活きと働きました。
小1時間もすると、この通り。
 
 
お父さんのお庭の芝生はきれいに刈りそろいました。
 
 
お父さんはたいそう感心して、前庭も刈ってしまおう、と思ったそうな。
 
 
オジートの通った後には道ができました。
 
その日は天気もよく、気温は30度を超えるほど。
 
お父さんは見る見るうちにあせだくに。
 
 
お父さんとオシートのがんばりで前庭もすっかりきれいになったそうな。
 




  
 
そんなお父さんとオジートを祝福するかのように、大輪の花が咲き誇ったそうな。
 

 
めでたし、めでたし

2013年3月10日日曜日

エスパルス、ホーム開幕戦で大敗。もう、市場に行くしかないっしょ!

いやー、やぁっちまったなぁ!何もかもうまくいかない時、っていうのはシーズンに何回かはあるものですが、それがよりにもよってホーム開幕戦に出てしまうとは!

Sの極みより、試合レポート http://www.s-kyoku.com/GetContentsDetail?report_ID=3703

そしてハイライト映像

 これは言い訳のしようがない。完敗です。マリノスファンは楽しかっただろうなぁ。次は同じ歓喜を味合わせてもらいたいものです。

そして、ジュビロの前田君。さっさとリーグシーズン初ゴールを決めてください。おねがいだから第6節までとっておかないでね・・・


ともあれ!今朝方、ケアンズ名物、ラスティーズ朝市に行ってまいりました!
この市場は週末の金、土、日しか開いていない朝市でありまして、近隣の町、主にマリーバ、アサートンなどの内陸部、高原地帯にある町から採れたての野菜や果物が運ばれてきます。
ま、置いてあるのはスーパーで買い取りされなかった2級品ばかりなので多少見かけが悪いのですが、味は抜群、ジモティに大人気のスポットなり!

さあ、ご覧あれ、この山盛りアボカド!アボガド?細かいことは気にスンナ!

こちらのおっさんは椰子の実を割っております。とれたて新鮮ココナッツジュースですな。
ココナッツクラーッシュ

自重で押しつぶされないか?
写真で見ると、なんここう、イボイボが、ブツブツが・・・

んー、おいしそう!

ご存知、ケアンズ名物マンゴー。なんと1㌔150円なり。もってけドロボー!

やっぱり、これで殴られたら痛いよね・・・?

などなど、どれをとっても1ー2ドル(80円ー200円)。安い!

こういう生鮮ものばかりでなく、地元で取れたコーヒー豆を挽いてくれるコーヒー屋さんや骨董品を扱う怪しげな店、自家製パン屋、古本屋さん、そしてなぜかタイの民族衣装を売っていたり(その理由はおいおい別に説明します)、観光客の方でも十分楽しめるようになっています。残念ながら、ケアンズに観光にこられる方はツアーをぎっちりきちきち予約する傾向にあり、こういった小さなアトラクションを楽しむ暇がないようですな。皆さんも海外旅行に行くときは1日か2日、自由時間を作るべし。っていうか、もっとケアンズに遊びに来い!いえ、来て下さい・・・