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2013年4月11日木曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その5

小生しばらくオーストラリアサッカーにかまけておりまして、ガイアジャパンのことをすっかり忘れておりました。

それではガイアジャパン(日本サッカー代表の愛称のようですな)を語るにおいて、長与千種選手の次に来るのはやはりこの人しかない、などと勝手に想像いたすですが、いかがでしょう?

里村芽衣子


今や女子プロレス界の重鎮、もしくは東北の雄として一定の評価を持ち、すっかり落ち着いてしまった感のある彼女ですが、個人的にはもっと高みを目指してほしいものです。

デビューは1994年。まさにガイアジャパン旗揚げ戦ですな。相手は終生のライバルにはなりきれてはいないけども、今はOZアカデミーでがんばっている、加藤園子(おお、一発で変換できた!)。新人同士でのデビュー戦、という、女子プロ界において当時では珍しかった組み合わせ。

いや、見ごたえありました。1年ほどかけて長与千種にみっちり鍛え抜かれた基礎に加え、そのガムシャラさは見ていて気持ちが良かったものですな。

157cmという、どちらかと言えば小柄な部類にはいる彼女ですが、相手が誰だろうと気合を入れて立ち向かい、フォールに入られてもキックアウトでなくブリッジで返す、という根性の入りよう。試合を見ていると、いつの間にか見ているこちらの握りこぶしが握られている、という魅せ具合。

あと10cm、いや5cm身長があったのなら、おそらく女子プロ界に伝説として残っていたであろう彼女は、新人としては異例、デビル雅巳、ダイナマイト関西、アジャコングなど、そうそうたる面子を必殺、デスバレー・ボム(男子では新日の大岩選手が使い手として知られていましたが、彼は4代目。本家本元はは女子の技です。里村選手は3代目の使い手ですね)で撃破していくのですが、こうしたヘビー級の選手との対戦が祟ったのでしょうか、腰をやってしまいます。当時のアジャコングは長与千種と戦いたい、との一心でガイアジャパンに参戦してきたらしいのですが、この里村選手につっかけられて寄り道を。そうしたらなんと、面白かったそうですよ。本気で戦える相手がもう一人見つかった、と。あの100キロ近いアジャコングを投げましたからね、小さな里村選手が・・・長与千種選手から後継者、とまで名指しされるほどですから、その実力は折り紙つき。

そうそう、アジャコング、と言えばまぁ、世間でも知られているでしょう。長いですし、あと風貌ですから・・・その試合っぷりは、どちらかと言えばリンチに近くて、100%出し切っている姿をお目にかかるのは早々ない。それでもコメディタッチから男女混合マッチまでこなせて、口も達者とくる、まさにプロフェッショナルですな。でも、彼女が100%,いや120%だすまで追い込まれる試合が見てみたい・・・里村選手の腰が悪くなければなぁ・・・

ガイアジャパンの解散の後、仙台女子プロレス、というみちのくプロの女子部を旗揚げしてがんばっているのですが、この腰の負傷が尾を引いているのか、投げ技はあまり使わなくなり、グランド主体のレスリングで今もなお見せてくれていますが、さきほど申したとおり、身長があと5cmあって腰を怪我しなければどこまで行ったんだろう、という思いが捨て切れません。そう言えば、新人の頃多用していた飛びつき腕ひしぎも最近見ないなぁ・・・女子プロレス界においては屈指のレスリング技術を誇る’彼女は、大抵の選手にグランドのテクニックで劣ることはないのですが、一度みちのくのMEN’Sテイオーとタッグで対戦したときにそのグラウンドでコテンパンにされたのはショックでした。男子相手でもやると思ったんだけど・・

しかし!投げたり、跳んだり、という見た目からに派手な動きがなくても魅せることができるのがこの里村選手の真骨頂!そのたたずまい、眼力、ゆったりとした動きから始まるレスリングテクニック、微妙な間合いの取り方、日本プロレス界の重鎮レフェリー、和田京平をして”一度裁いてみたい”とまで言わしめた彼女の試合、彼女が現役のうちに一度ご覧になってください!

2013年3月24日日曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その4

それではこのガイアに所属した各選手の個人的なコメントを掲載していきます。掲載順はその選手に対する思い入れの順だと思ってください。

長与千種



まあ、この人からはじめなくてはいけないでしょう。ガイアジャパンといえば、良くも悪くも長与千種。この人に始まり、この人で終わりました。ガイアの解散について諸説あるようですが、長与選手の引退、というものが強く関係しているのは間違いありません。


印象に残っているのが、加藤園子選手との一騎打ち。この試合で加藤選手が思い切って長与選手に対して自身の必殺技、ドラゴンスープレックスを放つのですが、何しろ長与選手の体が大きいため不完全な形に、しかも加藤選手が後頭部をしたたかに打ち付けるのが傍から見てもいかにも危険でした。それを受けた長与選手は、痛そうなふりなど一切せずすぐさま立ち上がって、逆に加藤選手に対して完璧なドラゴンスープレックスを極めたのです。お前、DSはこうやるんだ、と言わんばかりに。

基本的に彼女はプロレス馬鹿だと思うんですが、こういう教え子おもいな所がありまして、たとえば、前述したとおり、ガイア改などというどちらかと言えばパンクラス的なルールを持ち込んだときも、後輩のKAORU選手や山田敏代や一期生の一部がいまいち伸び悩んでいた頃でしたし、ガイアのゆっくりしたレスリングに対してハイスパート600なんていう10分決着ルールを始めたのも、思えば他団体選手との交流が始まって違うプロレスのペースに選手をなれさせるため、などと今思えばそんな気がします。レスラーの技術向上や強さを追い求めていたように見えて、以外にやることに深い意味がある、そんな選手でした。

続く

2013年3月21日木曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その3

度肝を抜かれた、という言い回しを使うならば、この時ほどそれが的確である瞬間は、これからの人生でまたあるかどうか。それほど衝撃的な旗揚げ戦でした。

長与千種、KAORU,ボンバー来島、いや光。このあたりのベテラン選手がそれなりの試合を見せているのはわかるのですが、この旗揚げ戦がデビューとなる新人選手たちの技術の高さ、そして気迫。一気に引き込まれる自分にとまどいながらも、小生、時間の経つのを忘れて画面の向こうの選手たちを応援していました。


今までの女子プロと何が違ったのか、と言われれば、おそらく一番いあがるのがそのプロレスに対する思想でしょう。この時期、またその後にも数多くの団体が現れ消えていくのですが、そのほとんどが強面の悪役レスラーに対する、アイドルレスラーという姿勢であったのに対して、ガイアのプロレスは、まさにプロレスでした。簡単に言ってしまうと、全日本プロレスの試合が女子選手によって行われている、とでも言えばいいのでしょうか。ゆっくりとした組み立てから確固たる技術に根ざした受けのプロレスでございました。

それは衝撃でしたよ。それまでの女子プロ、と言えば、髪の毛をつかんでの取っ組み合い、いわゆるキャットファイトみたいなので、極め技も見栄えがいいけど説得力に欠けるものが多かった。その点、ガイアのプロレスは本当の意味でプロのレスリングでした。

当時から賛否両論ありました。女子が男子的なプロレスをしてどうする、的な。ですが、それまで男子のプロレスばかり楽しんできた小生にとって、ガイアのプロレスは女子プロレス入門用にまさにうってつけでした。

こうした脅威の新人と呼ばれた一期生を始めに、数多くのフリーランス選手たちが作り出す夢の対決が売りだったこの団体も、その内パンクラスルールっぽい試合をしたり(打撃関節のみでフォールなし)、10分で決着をつけるハイスパートルール、など、色々と飽きさせません。一時期、団体抗争、またはチーム抗争の様なありきたりの展開に落ちそうなところを、長与選手の一声でもう一度、個人と個人の勝負に立ち返ってみたり、切り替えの上手な団体でした。

ま、そんなガイアジャパンもその切り替えのよさがたたって2005年に解散するのですが、それがまた気持ちのいい程にきれいな終わり方でした。

よくスポーツ選手の引退には色々な形がございますな。最後まで現役にこだわってずるずると、そして気づいたらいなくなっている選手。怪我のせいでやむなく引退。衰えを感じつつ有終の美を飾り、スッパリやめる選手。そして、キャリアの最高潮で惜しまれながら辞める選手。

当時は女子プロレス戦国時代を迎えておりまして、全女という一大帝国が消滅したあとはそのOG達が各地で新団体を旗揚げ、新しい覇権を競っておりました。ですが、現実は厳しいかな。そのほとんどが1,2年ほどで消え去っていくのです。その点、おそらくガイアは衰えを見せながら、惜しまれつつ辞める事ができた稀有な団体なのです。

このあたりはほかのサイトやプロレス誌に書きつくされたことですから、詳しいことは割愛しましょう。次回からはこのガイアに所属した選手の個人的な感想と意見を、本当に書きたかったことを書いていきます。

2013年3月18日月曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その2

小生にとっての女子プロレスとは、青と赤の水着を着た女の子たちが世にも恐ろしい女性軍に血みどろのボコボコにされる。幼き頃に垣間見た、まあ、俗に言うところのクラッシュギャルズのイメージが強かったのです。やっている本人達には失礼ですが、それはひどかった。興行、というよりは、見世物ですな。


世間の人気はすごかった、と言う記憶があります。調度小生の姉の年代くらいにはもう大ブーム。ベビーフェイスとヒール、というわかりやすい構図に戦うお姉さま。若い女性の間では人気が爆発して、レコードまで出していましたから、もう最高でしょう。

ですが、小生の幼き心には響かなかった。幼過ぎたたのかもしれませんが、むしろ新日本プロレスでプロレスをかじり、全日本プロレスでやっとその醍醐味を知った小生でありましたから、プロレス心ついた頃の女子プロレスと言えば、キューティー鈴木、という選手がそのアイドル顔負けのルックスで多少露出される、もしくはミスター女子プロなどという珍妙なあだ名を持つ、神取忍だけで、どちらかと言えば斜陽の時期を迎えていたのです。

ま、そんなせいもありまして、女子プロレス、といえば、良くも悪くもどうにもマニア向け、という先入観があったんですな。そこにあらわれたのが、そのG-PANICという番組.

本当にたまたまだったのですが、くしくもその番組は新しくできた女子プロレス団体の旗揚げ戦の模様をお送りすると言う、との事。

何気なしにポテトチップスを片手に画面を眺めていたところ、あれ、この人どっかで見たことあるぞ、と。それもそのはず、その団体を立ち上げた人物こそ、あのクラッシュギャルズで一世を風靡した長与千種その人でありました。聞くとこころによると、この団体に所属するほとんどの選手はその長与さんが育てたらしい。


へえ、そうなんだ、この人も長いよなぁ、などと、長与選手が一度引退したことなどもその当時は全く知りませんでしたので、小生、むしろ、まぁ一丁見てやるか、などと妙に上から目線であったのを覚えています。

続く

2013年3月17日日曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その1

いやー、昨日は仕事帰りに変なことを思いついてしまったものです。大層なテーマで投稿してしまいましたが、30分くらいの妄想の産物ですので、皆さんあまり本気にしないでください。

 
アヤックスに似ている、と言ってピンとくる人はどれくらいいるのだろう?いや、それよりも表題にある「GAEA JAPAN」とはなんぞや、と。
 
小生、大学時代は地元を離れ、山の奥地で暮らしておりました。民放は2チャンネルしかない様な僻地でございますゆえ、ケーブルテレビがかなりの割合で各家庭に普及しており、小生、もっぱらESPNなどの衛星放送をケーブルテレビ経由で視聴する毎日。大学に参るのは小生の気に入った講義がある日のみで、それ以外はギターの弾き語り、もしくは海外サッカーの視聴に明け暮れておりました。
 
その当時はイタリアのセリエAが最高峰のリーグとされ、その視聴はWOWOWなどの有料衛星放送に限られており、このケーブルテレビで視聴できる海外サッカーといえば、もっぱらオランダリーグのみ。なぜこんなマイナーリーグを見ねばならんのか、などと憤ったものですが、これが意外と面白い。
 
倉敷保雄さんという、今でこそ日本におけるサッカー実況界の第一人者と言われる方がおられるのですが、このESPNのサッカー放送の実況を担当されていて、その落ち着いた語り口に聞きほれたものです。
 
さあ、一試合終わって一息つくと、次の番組が始まる。たいがいの場合、オランダリーグのあとはNFLの試合中継が始まるので、アメフトに全く興味のなった小生、チャンネルGAORAに変える。このGAORAと呼ばれるチャンネル、主にスポーツ関係の試合やニュースを放送する中、どういうわけか吉本新喜劇を流すんですな。恥ずかしながら小生、新喜劇が生み出すお約束の笑いにはまってしまいまして、毎日欠かさず見ておりました。そんなある日、ある番組が目に留まりました。
 
”GーPANIC”
 
と申します。
 
続く