オーストラリアは元々オセアニア地区サッカー協会の主要メンバーでした。それが2006年ワールドカップ後、オセアニア地区を抜け、アジアサッカー協会の一員となり、これまでアジアカップやワールドカップ予選に日本の強敵として立ちはだかってきました。
なぜ、そんなことになったのか?ということなんですが、1番の原因は競技レベルにあります。
さて、現在のオセアニア協会の面子を見てみましょう。
アメリカ領サモア
クック諸島
フィジー
キリバーティ
ニューカレドニア
ニュージーランド
ニウエ
パラオ
パプアニュ-ギニア
サモア
ソロモン諸島
タヒチ
トンガ
トバル
バヌアツ
いくつかラグビーで聞いたことがある国がありますが、ニュージランドを除いて、見事に南の島ばかりですね。のんきな連中です。サッカーで生計を立てている人など、すべての国を合わせても一握りですね。
この国々との対戦成績はどのようなものだったのでしょうか?もっとも衝撃的であった2002年ワールドカップ、オセアニア予選の結果を抜粋しました。
対トンガ 22-0
対アメリカ領サモア 31-0
対フィジー 2-0
対サモア 11-0
決勝戦対ニュージーランド 6-1
フィジー戦を除いてそれこそラグビーのような結果です。日本でも天皇杯でJ1チーム対高校、の様な夢の対戦が実現することがありますが、18-0というのが最高記録で、国代表同士がガチンコ勝負でここまでの差がつくことは他に例がありません。実はアメリカ領サモアの正代表チームがパスポートに不備があって来豪できず、急遽とにかく選手をかき集めた結果、平均18歳、3人の選手が15歳、という急造チームであったことを抜きにしても、異常でした。
この試合でアーチー・トンプソンという選手が前人未到の1試合13ゴールという記録を打ち立てるのですが、ではこの最強オーストラリアのスターティングラインナップは、いえば・・・
GK マイケル・ペトコビッチ
DF ケビン・マスカット
DF クレイグ・モア
DF トニー・ポポビッチ
DF トニー・ビドゥマー
MF オーリオ・ビドゥマー
MF サイモン・コロッシモ
MF スティーブ・ホーバット
MF コン・ボートシアニス
FW ディビッド・ズドリリッチ
FW アーチー・トンプソン
ポポビッチ、ビドゥマーというサンフレッチェファンには懐かしいな名前も見られます。この試合にはオーストラリア代表歴代最多得点(45試合で29得点!)を誇るエース、ダミアン・モーリは出場していません。22-0で勝ったトンガ戦のご褒美ということで、ベンチでゆっくり休んでいます。その代わりに出場したアーチーがやっちまいましたが・・・
これを見て、あれ?と思われた方、こちらの最終プレイオフのウルグアイ戦の面子をご覧ください。
GK マーク・シュウォルツァー
DF ケビン・マスカット
DF ショーン・マーフィー
DF クレイグ・モア
DF トニー・ビドゥマー
MF ブレット・エマートン
MF ポール・オコン
MF ジョシップ・スココ
MF スタン・ラザリディス
FW マーク・ビドゥーカ
FW ハリー・キューウェル
ディフェンスラインはほぼ同じですが、GKそして中盤から先が全く違うチームになっています。どういうことでしょう?
日本でも一時期こんなことが問題になりましたよね?代表チームにおける海外組と国内組の軋轢。
ヨーロッパの主要リーグで戦っていたオーストラリア代表の主力組、もしくはその所属クラブは、オセアニア予選という明らかにレベルの落ちる試合の召集に応じませんでした。その結果オセアニア予選に参加したオーストラリア代表とは、国内リーグに所属していたメンバーが中心の、いわばBチームだったのです。ま、そうは言っても国内リーグを見続けていた小生にとっては、夢の様なNSL(Aリーグ以前の国内リーグの総称)オールスターチームだったんですが・・・
つまり、です。オセアニア予選を通じてチーム力を高めた代表は、予選トップで通過、という結果を出してすぐさま解散となり、最後のプレーオフの大一番はヨーロッパからその日だけ帰ってきた選手でぶっつけ本番、といういびつなことを続けていたんですね。
確かに、Bチームでこれだけ圧倒的に勝ってしまう様な相手に、わざわざ十何時間もかけてオーストラリアに戻ってこなければならない選手としては、やってられない、といいう心情はわかりますが、実際に帰ってこなかった選手への反発は当然ファンからもありましたし、予選を共に戦った選手からも、プレイオフになるとはずされる、という無慈悲な結末に対しての不満は多々聞かれました。
そして、ヨーロッパから戻ってきた選手達にチームとして練習する期間はそれほどなく、共に戦った実戦経験なども0に等しい、こんな状態では勝てる試合も勝てないのは当然、そんな空気が流れ始めたのです。
オーストラリアサッカー協会は選手や所属クラブの説得に走り回るのですが、その成果は芳しくありませんでした。答えはいつも同じです。
”レベルの低いオセアニア予選など、出る価値もない。むしろ怪我でもされたら困る!”
ここに至って、オーストラリアサッカー協会はひとつの結論に至ります。それが、オセアニア地区からもっとレベルの高い直近のアジア地区へと移ることだったのです。
8年以上かけてゆっくりと何度も交渉し、2005年、やっとのことでその成果が実るのですが、えー・・・結論から言います。お金で何とかしました!FIFA,UEFA,AFC・・・この辺の組織、お金さえあればどうとでもなります!
・・・そういう性質の悪い冗談はよしとして、2007年度のアジアカップ予選から晴れてオーストラリアはアジアサッカー協会の一員として、ほぼ互角なレベルの代表戦を行えるようになるのです。この決定は全国民、そして選手から大歓迎され、代表戦はすべてAチームで行えるようになりました。個人的には、おらがチームのエースが、そしてライバル達が集ってオセアニアで大活躍する姿をもっと、見てみたかったなぁ・・・
では、次回はオーストラリアにおけるスポーツ事情をお送りします!
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