2013年3月18日月曜日

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その2

小生にとっての女子プロレスとは、青と赤の水着を着た女の子たちが世にも恐ろしい女性軍に血みどろのボコボコにされる。幼き頃に垣間見た、まあ、俗に言うところのクラッシュギャルズのイメージが強かったのです。やっている本人達には失礼ですが、それはひどかった。興行、というよりは、見世物ですな。


世間の人気はすごかった、と言う記憶があります。調度小生の姉の年代くらいにはもう大ブーム。ベビーフェイスとヒール、というわかりやすい構図に戦うお姉さま。若い女性の間では人気が爆発して、レコードまで出していましたから、もう最高でしょう。

ですが、小生の幼き心には響かなかった。幼過ぎたたのかもしれませんが、むしろ新日本プロレスでプロレスをかじり、全日本プロレスでやっとその醍醐味を知った小生でありましたから、プロレス心ついた頃の女子プロレスと言えば、キューティー鈴木、という選手がそのアイドル顔負けのルックスで多少露出される、もしくはミスター女子プロなどという珍妙なあだ名を持つ、神取忍だけで、どちらかと言えば斜陽の時期を迎えていたのです。

ま、そんなせいもありまして、女子プロレス、といえば、良くも悪くもどうにもマニア向け、という先入観があったんですな。そこにあらわれたのが、そのG-PANICという番組.

本当にたまたまだったのですが、くしくもその番組は新しくできた女子プロレス団体の旗揚げ戦の模様をお送りすると言う、との事。

何気なしにポテトチップスを片手に画面を眺めていたところ、あれ、この人どっかで見たことあるぞ、と。それもそのはず、その団体を立ち上げた人物こそ、あのクラッシュギャルズで一世を風靡した長与千種その人でありました。聞くとこころによると、この団体に所属するほとんどの選手はその長与さんが育てたらしい。


へえ、そうなんだ、この人も長いよなぁ、などと、長与選手が一度引退したことなどもその当時は全く知りませんでしたので、小生、むしろ、まぁ一丁見てやるか、などと妙に上から目線であったのを覚えています。

続く

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