2013年4月13日土曜日

ケアンズ三昧らしいことをしてみよう!

と、いうわけで今日はまたビーチに行ってまいりました!
 

とは言っても、今回は違う場所へ。個人的なお気に入りのトリニティビーチです。
かなり前にパームコーブという所の紹介をしましたが、今回のトリニティーはケアンズから向かってそのパームコーブの手前。時間的には来るまで20分北ですな。
パームコーブが観光客用にかなり発展しているのに対して、このトリニティービーチはそれほどでもないのですが、レストラン、ホテルと一通りそろっています。

 
見えるかな?ビーチにすぐそばにあるホテルなんですが・・・
 

はい、この通り、パームコーブから見えるダブル島も視界にはいる少し小さめですが、きれいなビーチですね。
 
ワニさん注意の看板がでかでかと・・・ちなみに、ケアンズには町のあちらこちらに看板がありまして、たまーに発見、保護されます。
 


ビーチはブイで囲んである小さな一角だけが遊泳可、となっておりまして、その外で遊ぶ人は、クラゲなどの野生動物に要注意です。

ちなみにここにはビーチのすぐ横に子供が遊べる公園があるので便利。


こんな感じでうちの愛娘も大満足!


あまりのうれしさにダッシュしてみたり、


武藤敬司ばりのポーズを決めて見せたり・・・


いや、楽しい一日でした

2013年4月11日木曜日

静岡ダービー間近!

とりあえずデスゴールに怯えなくて済む、というのはありがたい。今年は本気でありえたからなぁ・・・ありがとうレッズ、そしてまたさようなら!

さあ、どうにも攻撃陣の調子がいまいち上がらないエスパルスですが、ここで朗報が。

なんと、ゴトビ体制になってからこの第6節、負けたことがありません!

そして、一度大敗した相手に2度続けてやられたこともありません!

もう失うものなど何もない、いけ!エスパルス!

女子プロレスとガイアジャパン(GAEA JAPAN)の残影 その5

小生しばらくオーストラリアサッカーにかまけておりまして、ガイアジャパンのことをすっかり忘れておりました。

それではガイアジャパン(日本サッカー代表の愛称のようですな)を語るにおいて、長与千種選手の次に来るのはやはりこの人しかない、などと勝手に想像いたすですが、いかがでしょう?

里村芽衣子


今や女子プロレス界の重鎮、もしくは東北の雄として一定の評価を持ち、すっかり落ち着いてしまった感のある彼女ですが、個人的にはもっと高みを目指してほしいものです。

デビューは1994年。まさにガイアジャパン旗揚げ戦ですな。相手は終生のライバルにはなりきれてはいないけども、今はOZアカデミーでがんばっている、加藤園子(おお、一発で変換できた!)。新人同士でのデビュー戦、という、女子プロ界において当時では珍しかった組み合わせ。

いや、見ごたえありました。1年ほどかけて長与千種にみっちり鍛え抜かれた基礎に加え、そのガムシャラさは見ていて気持ちが良かったものですな。

157cmという、どちらかと言えば小柄な部類にはいる彼女ですが、相手が誰だろうと気合を入れて立ち向かい、フォールに入られてもキックアウトでなくブリッジで返す、という根性の入りよう。試合を見ていると、いつの間にか見ているこちらの握りこぶしが握られている、という魅せ具合。

あと10cm、いや5cm身長があったのなら、おそらく女子プロ界に伝説として残っていたであろう彼女は、新人としては異例、デビル雅巳、ダイナマイト関西、アジャコングなど、そうそうたる面子を必殺、デスバレー・ボム(男子では新日の大岩選手が使い手として知られていましたが、彼は4代目。本家本元はは女子の技です。里村選手は3代目の使い手ですね)で撃破していくのですが、こうしたヘビー級の選手との対戦が祟ったのでしょうか、腰をやってしまいます。当時のアジャコングは長与千種と戦いたい、との一心でガイアジャパンに参戦してきたらしいのですが、この里村選手につっかけられて寄り道を。そうしたらなんと、面白かったそうですよ。本気で戦える相手がもう一人見つかった、と。あの100キロ近いアジャコングを投げましたからね、小さな里村選手が・・・長与千種選手から後継者、とまで名指しされるほどですから、その実力は折り紙つき。

そうそう、アジャコング、と言えばまぁ、世間でも知られているでしょう。長いですし、あと風貌ですから・・・その試合っぷりは、どちらかと言えばリンチに近くて、100%出し切っている姿をお目にかかるのは早々ない。それでもコメディタッチから男女混合マッチまでこなせて、口も達者とくる、まさにプロフェッショナルですな。でも、彼女が100%,いや120%だすまで追い込まれる試合が見てみたい・・・里村選手の腰が悪くなければなぁ・・・

ガイアジャパンの解散の後、仙台女子プロレス、というみちのくプロの女子部を旗揚げしてがんばっているのですが、この腰の負傷が尾を引いているのか、投げ技はあまり使わなくなり、グランド主体のレスリングで今もなお見せてくれていますが、さきほど申したとおり、身長があと5cmあって腰を怪我しなければどこまで行ったんだろう、という思いが捨て切れません。そう言えば、新人の頃多用していた飛びつき腕ひしぎも最近見ないなぁ・・・女子プロレス界においては屈指のレスリング技術を誇る’彼女は、大抵の選手にグランドのテクニックで劣ることはないのですが、一度みちのくのMEN’Sテイオーとタッグで対戦したときにそのグラウンドでコテンパンにされたのはショックでした。男子相手でもやると思ったんだけど・・

しかし!投げたり、跳んだり、という見た目からに派手な動きがなくても魅せることができるのがこの里村選手の真骨頂!そのたたずまい、眼力、ゆったりとした動きから始まるレスリングテクニック、微妙な間合いの取り方、日本プロレス界の重鎮レフェリー、和田京平をして”一度裁いてみたい”とまで言わしめた彼女の試合、彼女が現役のうちに一度ご覧になってください!

2013年4月1日月曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その6 オーストラリア代表の現在

2006年ドイツワールドカップの快挙の後、オーストラリア代表は初めて参加するアジアカップでも好成績を収め、その前途は順風満帆でした。ですが、それが新たな問題を作り出しました。世代交代の鈍化です。あまりにも当時の代表に所属していた選手のレベルが高かったため、若い世代が加わるとどうしても見劣りしてしまい、定着できませんでした。辛抱強く使っていればよかったのでしょうが、アジア、という未知の領域に対して、結果が強く求められていてオーストラリア代表にとって、若手の成長を待つ余裕などあるはずもなく、2010年ワールドカップもその予選、本選、とほぼ同じメンバーで戦っています。

そして、残念ながらAリーグの設立も代表レベルの低下に影響を及ぼしています。それまでのセミプロリーグと違い、Aリーグでは選手の平均年棒が3倍以上上がっています。以前は有望な若い選手はまずヨーロッパの2部リーグを目指してオーストラリアを出て行きました。何せ、国内ではサッカーで生活することは難しかったのですから。そしてヨーロッパで揉まれ、ステップアップしていった選手たちが代表として活躍していたのですが、現在では有望な若手はAリーグを活躍の場として選んでいます。セミプロであった以前と違い、今では選手の移籍にお金がかかります。そのせいでわざわざ2部リーグのクラブが高い移籍金を払ってオーストラリア選手を獲得するはずもなく、ヨーロッパのレベルの高いリーグでプレーできる選手が限られてしまっているのです。

それに拍車をかけるように、それまでヨーロッパでプレーしていた、全盛期を過ぎたオーストラリア選手もAリーグを主戦場として選ぶようになりました。ファンにとってはありがたいことなのですが、彼らがプレーすることによって、若い選手たちの出場機会が減ってしまいました。もちろんプロである以上、ポジションを実力で奪い返せばいいのですが、ワールドカップで英雄となったベテラン選手たちの出場は観客数にも影響を与えるので、奪おうにもクラブ側の事情でそれはかないませんでした。

現在Aリーグのクラブには最低2人のU21選手を登録しなければならない、というルールがありますが、Aリーグのレベルが最低でもアジアトップクラスにならない限り、


こんな裏事情が徘徊するグリーン&ゴールド、サッカルーズ現オーストラリア代表、見ていきましょう。

ちなみにシステムは昔からイギリス伝統の4-4-2です。

監督 2010年以降、ホルガー・オジェックです。浦和レッズの監督としておぼえていらっしゃる方も多いのでは?

オマーン戦のスタメン
GK マーク・シュウォルツァー
   もう40歳になりますか・・・代表キャップ歴代1位の105を更新中です。

DF ルーク・ウィルシャイア
   もう31際になってしまいましたか・・・プレミアのミドルズブラでデビューした後は中堅クラブを行ったり来たりで(イングランド2部のブリストルシティやオランダのトゥウェンテ)今はロシアのディナモ・モスクワでプレーしています。昔は攻撃的MFとしてキューウェル2世、などと騒がれておりましたが、悪い意味でプレーに落ち着きが出てしまいまして、今では右SBのレギュラーです。

DF ロバート・コーンスウェイト
   この人は実は英国生まれのオーストラリア育ち。オーストラリアのAリーグでデビューして今は韓国はKリーグでプレーしています。まだ27歳でその内Jリーグに来ると思います。ハードなマークが心情のCB

DF マイケル・スワイト
   ケアンズ生まれの地元の星!29歳のCBですな。元は2004年オリンピック代表で2010年ワールドカップはこの人の年、と言われていたんですが、ベテランが引退しないものだからそのあおりを食ってやっとレギュラーに定着しました。ルーマニアで一時期プレーしてましたが、代表に定着し始めてからはAリーグでプレーしております。
   
   

DF マシュー・マカイ
   オーストラリア人にしては小柄な171cmの守備的MF。武闘派として知られるクラッシャーの彼はAリーグからKリーグへそして今は中国のスーパーリーグで活躍しております。この試合では左SBとしてプレーしてましたけど、基本的には中盤の潰し屋。

MF ブレット・ホルマン
   AZアルクマールというオランダのチームで名を上げまして、今はプレミアのアストンビラですね。ま、根っからの右ウィンガータイプです。今はやや円熟期に入ったところですが、まだまだこの人を自由にしたらがんがんサイドを切り込まれます。

MF アレックス・ブロスク
   清水エスパルスファンには惜しまれているでしょう。フォワードから中盤までどこでも高いレベルでこなすテクニシャン。代表では左MFを任されていますが、試合展開でFWになったりトップ下に入ったり、監督には重宝されているでしょうね。元々はAリーグでエゴイスティックなストライカーとして知られていましたが、清水エスパルス時代にゴトビ監督の下でポリバレントな才能が開花したようです。今は中東のどこかのクラブだったような・・

MF ジェイムス・ホランド   
   ユース代表当時からその才能を買われていたゲームメーカー。二十歳前にヨーロッパに移籍し、今はオーストリアのウィーンでプレーしております。その内プレミアからも声がかかるでしょう。オーストラリア期待の星。

MF マイル・ジェディナック
   眉毛男。Aリーグの所属チームを優勝に導いた後、トルコに行き、今は英国の荒くれ集団、クリスタルパレスで最も愛される漢となりました。ポジションも同じですし、眉毛の濃いスティーブン・ジェラード、と呼んでも過言ではありません。

 
FW ロビー・クルーズ
   若手の中でも飛びぬけている快速ウィンガー。日本の岡崎慎司選手とタイプ的には似ている、オフザボールの動きが抜群です。十代の頃、お酒飲んで喧嘩する、などと素行不良が目立った彼も、今はドイツのデュッセルドルフで元清水エスパルスの大前元紀とポジション争いの真っ只中。ドイツって、また酒飲み過ぎてやらかしそう・・・期待を背負って10番です!

FW ティム・ケイヒル
   その抜群の得点力を買われて今は代表ではフォワードをやらされています。2006年当時からずっと出続けて、今は大黒柱。現在62試合出場で28得点。おそらく今予選大会で代表歴代1位の29得点を塗り替えるのでは?

控え
DF ルーカス・ニール
   前回のホームでのオマーン戦は彼の出場停止が大きかった。35歳になる彼がいないと落ち着かないディフェンスライン、というのがオーストラリアのタレント不足を物語っています。

FW アーチー・トンプソン
   その身体能力を生かした得点力はピカ一だったんですが、どうも世界を相手にブレイクすることなくズルズルと・・・気がつけば34歳になってました。Aリーグでは随一のストライカーだったんですが・・・

MF マーク・ブレシアーノ
   若いホランド君に道を譲りましたが、まだまだ健在です。

DF ジェイド・ノース
   一時期FC東京にいたんですが、覚えてる人いますかね?珍しくアボリジニーの出身です。ダイナミックな上がりが売りのいい左SBですね。まだ31歳ですが、本職ではないマカイを使うのはやはり世代交代を意識しているのでしょうか?

GK マシュー・ライアン
   Aリーグが誇る若き守護神。シュウォルツァーの後は彼だろう、と言われていますが、今まで何人もそういわれて消えていったので、どうでしょう?

DF マイケル・ズーロ
   左サイドのスペシャリストですね。2年ぐらい前にオランダのFCユトレヒトに移籍しました。その後は左ウィングで1対1に磨きをかけている、とか。オーストラリアで有名になったのはAリーグのせいではなくて、弟がテレビに出たのがきっかけ。

DF マーク・ミリガン
   JEFユナイティッド千葉でプレーしていた右SB。東北地震が怖くて今はオーストラリアに帰ってきています。一応CBと中盤の底ができる、という触れ込みですが、やっぱり右SBが本職でしょう。どちらかと言えば、守備的な、昔ながらのSBです。

MF トム・ロギッチ
   去年衝撃的なAリーグデビューをして、争奪戦の結果、今はスコットランドのセルティックでプレーする攻撃的MFというか、ほぼフォワード。20歳にしてもうガタイがいい、タイプ的にはミハイル・バラックに似てるかな?早めにオーストラリアデビューさせないとクロアチアに取られるぞ!


などなど。平均年齢にしたら30歳前後になる選手が中心です。25-29歳位くらいの日本なら代表の中核を担うはずの選手が、2006年選手のあおりを受けて全くチャンスをもらえず育ったなかったため小粒が多く、30オーバーと20代前半の選手で占められています。特にCBとGKの層が非常に薄い!攻撃は若い選手の勢いで何とかなるとは思いますが、やっぱりディフェンスの中核を担うはずの次の世代が経験をつめなかったのは痛いですね。

オーストラリアがアジアで優勝を狙える位置に来るのは、私見ですがあと5年はかかると思います。

では6月の日本対オーストラリア、楽しみにしていましょう!

2013年3月29日金曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その5 オーストラリアのスポーツ事情

元英国領に詳しい方はご存知であるでしょうが、サッカー発祥の地であるイギリスを母国にもったオーストラリアにおいて、以外にもサッカーはナンバー1スポーツではありません。どうしてもイギリス、というとプレミアリーグのイメージがあるせいかサッカーと思われがちですが、当イギリスにおいてもナンバー1スポーツ、と言えばラグビーになります。

オーストラリアにおいてもそれは例外ではなく、ラグビーワールドカップでもチャンピオンになるほどにそのレベルは高く、競技人口も他を寄せ付けないトップの人気を誇っています。


オーストラリアにはラグビーリーグ(通称:NRL)、ラグビーユニオンという2つのプロリーグがありまして、ルールに多少の違いがあるんですね。NRLは日本でもおなじみの伝統的なラグビー、リーグのほうはタックルとスクラムに制限があり、伝統的なラグビーに対してもっとスピーディーなゲーム展開が売りです。


このラグビーとほぼ同等の人気を誇るのが、オーストラリア式フットボール(通称:AFL)です。


ノースリーブの漢どもが楕円形のボールを投げて、蹴って、これまた楕円形のフィールドを走り回り、4本のポールの間にボールを蹴りこむことでポイントを競い合う、というなんとも馴染みのないスポーツですが、世界でも他に例のないスポーツにしては以外に面白い。

アイルランドのゲーリックフットボールが原型といわれるこのAFLは地域密着型のクラブチームがオーストラリア各地にあり、幅広い人気を誇っています。もしチャンスがあったらスタジアムで観戦されることをお勧めします。


サッカーはまだ出てきません。第3位に来るのはクリケット。元英国領ではおそらく一番盛んなスポーツでしょう。野球の原型となったスポーツですね。多くは語りません。小生、どうにも未だに何が面白いのかわからない・・・


その次に来るのがテニスかな?待ちにかならず一つはテニスクラブがありますし、お金持ちの間では自宅にテニスコートを持つことがステータス。全豪オープンなどもあり、歴史的にもいいテニスプレイヤーを排出しています。


そして、ここでやっと登場するのがサッカー。元々セミプロのNSLというリーグがあったのですが、Jリーグの成功を受けて、そしてワールドカップ再出場への熱もあって、Aリーグという完全プロリーグが2005年に誕生しました。まだ発展途上のリーグで、安定経営はまだまだ先ですが、いち早くクラブライセンス制度を導入し、サラリーキャップ(総選手給料の制限措置)制度を持ったこのリーグは金満ビッグクラブの存在がなく、毎年優勝クラブが変わる非常に見ごたえのあるリーグになっています。各クラブ、一人だけこのサラリーキャップ外の選手を雇うことができ、上の写真にもあるとおり、小野伸二、デル・ピエーロ、エミール・ヘスキーなどといった往年のスターが余生を送っております。

リーグのサッカーレベルはアジアでも中位クラス。AFCチャンピオンズリーグに勝ったことないですし、以前のJリーグのようにこういった客寄せパンダ的な選手がスタメンをはれる、という時点でお察しください。


と、言うわけで、サッカーの人気は国内でも一段下がるのが現状です。才能ある若者たちはラグビーやAFLに流れてしまい、サッカーをプレーする子供たちはクロアチア系やイタリア系のサッカー大好き移民の2世3世が主になっています。それでも平均して体格が大きいですし、オーストラリアの人たちは何かしらスポーツをすることが当り前になっていますので、そのあたりの身体能力で何とかしているのが現在の立ち位置なのかもしれません。


どのようなスポーツに携わっていても、オーストラリアには確固とした育成システムがあります。子供たちはまず、地元のクラブに入ります。そこである程度頭角を現してくると、こんどは市選抜チームに呼ばれ、そして州選抜へ。国中にその才能を知られる選手になれば、政府の管理するAISといわれるスポーツエリート養成学校に編入されます。世界で活躍するスポーツ選手の80%がこのAIS卒業生でして、ここに入れれば将来の成功は約束されたも同然、というシステムになっております。

そんなオーストラリアのスポーツ事情、次回はとうとう現代表に迫ります!

2013年3月28日木曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その4 オーストラリアサッカー協会の移籍

今日は世界でもまれに見るサッカー協会の移籍について語りましょう。

オーストラリアは元々オセアニア地区サッカー協会の主要メンバーでした。それが2006年ワールドカップ後、オセアニア地区を抜け、アジアサッカー協会の一員となり、これまでアジアカップやワールドカップ予選に日本の強敵として立ちはだかってきました。

なぜ、そんなことになったのか?ということなんですが、1番の原因は競技レベルにあります。


さて、現在のオセアニア協会の面子を見てみましょう。

アメリカ領サモア
クック諸島
フィジー
キリバーティ
ニューカレドニア
ニュージーランド
ニウエ
パラオ
パプアニュ-ギニア
サモア
ソロモン諸島
タヒチ
トンガ
トバル
バヌアツ

いくつかラグビーで聞いたことがある国がありますが、ニュージランドを除いて、見事に南の島ばかりですね。のんきな連中です。サッカーで生計を立てている人など、すべての国を合わせても一握りですね。

この国々との対戦成績はどのようなものだったのでしょうか?もっとも衝撃的であった2002年ワールドカップ、オセアニア予選の結果を抜粋しました。

対トンガ         22-0
対アメリカ領サモア  31-0
対フィジー        2-0
対サモア         11-0

決勝戦対ニュージーランド 6-1

フィジー戦を除いてそれこそラグビーのような結果です。日本でも天皇杯でJ1チーム対高校、の様な夢の対戦が実現することがありますが、18-0というのが最高記録で、国代表同士がガチンコ勝負でここまでの差がつくことは他に例がありません。実はアメリカ領サモアの正代表チームがパスポートに不備があって来豪できず、急遽とにかく選手をかき集めた結果、平均18歳、3人の選手が15歳、という急造チームであったことを抜きにしても、異常でした。



この試合でアーチー・トンプソンという選手が前人未到の1試合13ゴールという記録を打ち立てるのですが、ではこの最強オーストラリアのスターティングラインナップは、いえば・・・

GK マイケル・ペトコビッチ
DF ケビン・マスカット
DF クレイグ・モア
DF トニー・ポポビッチ
DF トニー・ビドゥマー
MF オーリオ・ビドゥマー
MF サイモン・コロッシモ
MF スティーブ・ホーバット
MF コン・ボートシアニス
FW ディビッド・ズドリリッチ
FW アーチー・トンプソン

ポポビッチ、ビドゥマーというサンフレッチェファンには懐かしいな名前も見られます。この試合にはオーストラリア代表歴代最多得点(45試合で29得点!)を誇るエース、ダミアン・モーリは出場していません。22-0で勝ったトンガ戦のご褒美ということで、ベンチでゆっくり休んでいます。その代わりに出場したアーチーがやっちまいましたが・・・

これを見て、あれ?と思われた方、こちらの最終プレイオフのウルグアイ戦の面子をご覧ください。

GK マーク・シュウォルツァー
DF ケビン・マスカット
DF ショーン・マーフィー
DF クレイグ・モア
DF トニー・ビドゥマー
MF ブレット・エマートン
MF ポール・オコン
MF ジョシップ・スココ
MF スタン・ラザリディス
FW マーク・ビドゥーカ
FW ハリー・キューウェル

ディフェンスラインはほぼ同じですが、GKそして中盤から先が全く違うチームになっています。どういうことでしょう?

日本でも一時期こんなことが問題になりましたよね?代表チームにおける海外組と国内組の軋轢。

ヨーロッパの主要リーグで戦っていたオーストラリア代表の主力組、もしくはその所属クラブは、オセアニア予選という明らかにレベルの落ちる試合の召集に応じませんでした。その結果オセアニア予選に参加したオーストラリア代表とは、国内リーグに所属していたメンバーが中心の、いわばBチームだったのです。ま、そうは言っても国内リーグを見続けていた小生にとっては、夢の様なNSL(Aリーグ以前の国内リーグの総称)オールスターチームだったんですが・・・

つまり、です。オセアニア予選を通じてチーム力を高めた代表は、予選トップで通過、という結果を出してすぐさま解散となり、最後のプレーオフの大一番はヨーロッパからその日だけ帰ってきた選手でぶっつけ本番、といういびつなことを続けていたんですね。

確かに、Bチームでこれだけ圧倒的に勝ってしまう様な相手に、わざわざ十何時間もかけてオーストラリアに戻ってこなければならない選手としては、やってられない、といいう心情はわかりますが、実際に帰ってこなかった選手への反発は当然ファンからもありましたし、予選を共に戦った選手からも、プレイオフになるとはずされる、という無慈悲な結末に対しての不満は多々聞かれました。
そして、ヨーロッパから戻ってきた選手達にチームとして練習する期間はそれほどなく、共に戦った実戦経験なども0に等しい、こんな状態では勝てる試合も勝てないのは当然、そんな空気が流れ始めたのです。

オーストラリアサッカー協会は選手や所属クラブの説得に走り回るのですが、その成果は芳しくありませんでした。答えはいつも同じです。

”レベルの低いオセアニア予選など、出る価値もない。むしろ怪我でもされたら困る!”

ここに至って、オーストラリアサッカー協会はひとつの結論に至ります。それが、オセアニア地区からもっとレベルの高い直近のアジア地区へと移ることだったのです。

8年以上かけてゆっくりと何度も交渉し、2005年、やっとのことでその成果が実るのですが、えー・・・結論から言います。お金で何とかしました!FIFA,UEFA,AFC・・・この辺の組織、お金さえあればどうとでもなります!

・・・そういう性質の悪い冗談はよしとして、2007年度のアジアカップ予選から晴れてオーストラリアはアジアサッカー協会の一員として、ほぼ互角なレベルの代表戦を行えるようになるのです。この決定は全国民、そして選手から大歓迎され、代表戦はすべてAチームで行えるようになりました。個人的には、おらがチームのエースが、そしてライバル達が集ってオセアニアで大活躍する姿をもっと、見てみたかったなぁ・・・

では、次回はオーストラリアにおけるスポーツ事情をお送りします!

2013年3月27日水曜日

がんばれ、オーストラリア代表!そして黒歴史へ・・・? その3 オーストラリアのサッカー界における移民事情

オーストラリアの建国は1788年。英国連邦の植民地として始まったこの国は様々な国からの移民によって発展してきました。当然、そのメインになったのはイギリス連邦、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなのですが、国が発展するにつれて、イタリア、ギリシャ、トルコ、などといったどちらかといえば貧国に属するヨーロッパの国々からたくさんの人々が夢を求めてオーストラリアに来ました。

その後、金鉱脈が発見されると移民は加速度を増し、どこから嗅ぎ付けたのか、中国人が現れ、ベトナム戦争が勃発するとベトナム、カンボジアから難民が。ユーゴスラビアの内戦ではマケドニア、クロアチア人が大量に押し寄せてきました。

現在ではIT産業に属するインド人の技術系移民、オーストラリア女性の結婚願望低下による影響でオーストラリア男性がタイ、フィリピンの若い女性と結婚し、芋づる式にその家族が、と東南アジア系の移民が増えています。あ、もちろん中国の富裕層が大量流入しているのは、どこの国でも同じですね。

そんな訳で、オーストラリアのスポーツ界にも様々な経歴を持った選手が数多くいます。


20世紀終わりごろに彗星のようにテニス界に現れた妖精、イェレーナ・ドキッチちゃんはクロアチア系です。どうぞ、ググってください。本当に可愛かった・・・

ゴホン、話に戻ります。彼女はまさにユーゴ内戦のせいで家族と共にオーストラリアに来た難民の代表格でして、彼女のおりなすシンデレラストーリは全オーストラリア移民少女の憧れでした。ですが、これがのちにおかしなことになるんです。

幼少の頃にオーストラリアに来た彼女は、オーストラリア人として青春時代を謳歌し、オーストラリアのエリート育成機関でテニスの練習に明け暮れ、瞬く間にオーストラリアを代表するテニス界の超新星として脚光を浴びました。ですが、西暦2000年、彼女は突然、メディアの前で祖国クロアチアの選手として活動することを発表したのです。コンフェデレーションカップ、という国対国の団体戦で、オーストラリアのためにプレーすることを拒否したんですね。これにはオーストラリア人大反発しました。どうしてこういう道を選んだのか、諸説あるんですが(オーストラリアの学校でいじめられていた、とか、コーチでもあった骨の髄まで生粋のクロアチア人であるお父さんのたっての願いであるとか・・・)、オーストラリアから逃げ出すようにして祖国クロアチアへ活動の場を移した彼女はみるみるその輝きを失っていくのですが、それはまた別のお話。


有名なサッカー選手ではイタリアの重戦車、インテルのクリスティアン・ビエリも実はオーストラリア育ちです。彼がまだ赤ん坊の頃に両親がオーストラリアへの移住を決め、ビエリもオーストラリアでサッカーを始めました。オーストラリアでも盛んなクリケット少年として育ったビエリ君は、父親の影響でシドニーにあったマルコーニ・スタリオンというイタリア人系のサッカークラブでサッカーを始め、そ大器のの片鱗を見せはじめるのですが、その才能がオーストラリアという辺境で埋もれてしますことを恐れた父親と友人から、イタリアへ行くことを勧められました。ま、その後は皆さんもご存知のはずですね。彼は結局世界でも有数のストライカーとして、イタリア代表にその名を歴史に刻みました。
こぼれ話ですけど、ビエリの弟、マッシミリアーノ(愛称はマックス。ジーナスじゃないっスヨ)はオーストラリアに残り、オーストラリア代表としてデビューしています。あまり活躍できませんでしたけど・・・

この様に、様々な背景を持つ選手が多いオーストラリア代表です。では、2006年当時の選手達を振り返ってみます。

GK マーク・シュウォルツァー
響きでわかると思うんですけど、ドイツ系です。つぁーってね。アーノルド・シュワルツェネッがーっとか。もう、あーといえば大体ドイツ。ちなみにまだ現役でして、最多代表出場記録更新中。

右SB ブレット・エマートン
英国系生粋のオーストラリア人。オーストラリアでキャリアを積んだ後、オランダはフェイエノールトへ。小野伸二のチームメイトとしてUEFAカップ優勝を引っさげ、プレミアのブラックバーンで過ごす。今は実家のシドニーに戻って、カズも短期で所属していたシドニーFCで余生を送っております。ちなみに今年ライバルクラブの西シドニーワンダラーズにかつてのチームメイト、小野伸二が入って大暴れしておりまして、ダービーマッチでは対抗心からか変にやる気を出してレッドカードを食らっておりました。愛いやつよのう・・・で、ちなみに彼もまだ現役代表なり

CB ルーカス・ニール
この人はほぼイギリス人です。何せ10代の頃からイギリスで生活して、そのキャリアのほとんどをプレミアで過ごしました。ブラックバーンにいた頃がキャリアの最高潮ではないでしょうか?何せ、リバプールのアイドル、ジェイミー・キャラガーの足を試合中にぶち折ったことで一躍有名になりましたから。クラブでは右SBを勤め、代表ではCB.2010年ワールドカップではキャプテンまでしていました。

CB クレイグ・モア
この人はスコットランド人。先祖がそうだったんですが、この人自身も10代でスコットランドに移住し、名門グラスゴーレンジャースのユースに入ります。その後順調にキャリアを重ね、最後にはレンジャースの砦を築いておりました。中村俊輔とは入れ違いでチームを去ったので対戦経験はないはずですが、彼がレンジャースに残っていたらセルティックにあそこまででかい顔されることはなかった、というレンジャースファン多数。強さとうまさを兼ね備えたCBの理想系でした。

守備的左SB トニー・ポポビッチ
サンフレッチェ広島にもいたんんで、覚えてる方もいるかな?彼はセルビア系2世(旧ユーゴ)。背がばか高いんで(193cm)、CBのバックアップでもありました。ドイツワールドカップの初戦、対ブラジル戦にて負傷退場し、それが彼のキャリア最後の試合となりもうした・・・本人は悔いなし、とか。戦場で散って本望とか、お前は武士か!

攻撃的SB スコット・チッパーフィールド
数少ないオーストラリア国内リーグ選手。まあ、スイスでもやってましたけど、キャリアのほぼすべてをオーストラリアのニューカッスル、という地方クラブで過ごした彼には結構思い入れがあります。ヒディング体制では左サイドバックでしたけど、本当は左よりの攻撃的MFです。祖父母がイギリスからの移民ですね。

守備的MF ビンス・グレラ
イタリア系移民の3世です。ユース代表、オーストラリアでのクラブ、イタリアでのクラブ、そしてオーストラリア代表、となぜかずっとチームメイトであるマルコ・ブレシーアノとは家族ぐるみで大親友だそうで。ちなみにWikiによるとイタリアへ渡った最初の仕事が、ユベントスのジネジーヌ・ジダンを密着マークすることだったそうな。・・・無理、と語っております。

攻撃的MF マルコ・ブレシアーノ
この人もイタリア系移民ですが、母親がクロアチア人。中盤ならどこでもできてSBもそつなくこなします。気がついたらゴール前にいる、そんなにくい男。

守備的MF ジェイソン・キュリーナ
攻守のバランスをとるのが絶妙だった。クロアチア系ですね。お父さんはオーストラリアでプロチームの監督をしています。親子鷹。

守備的MF ジョシップ・スココ
この人もクロアチア系。大して印象に残っていない位影の汗かき役。生まれはオーストラリアのド田舎です。

攻撃的MF ティム・ケイヒル
プレミアのエヴァートンでブイブイいわし、日本もだいぶ苦しめられたこの人、お父さんはアイルランド系、お母さんがサモア人、となんとも興味深い家系です。彼の母系のいとこはみんなラグビープレイヤーです。どおりで当りにむちゃくちゃ強いはずだ・・・

CF マーク・ビドゥーカ
いかつい彼もまたクロアチア系。やっぱりどうしてもリーズユナイテッドでの無双っぷりがまず先に来て、代表では実はそれほど結果を残していません。

WG ハリー・キューウェル
大正義ハリーはイギリス人、オーストラリア代表でプレイするイギリス人です。ヤングリーズを象徴するカリスマで、そのドリブルとシュートはまさにカミソリのごとき。何故彼はオーストラリア人なんだ、とイギリス中のサッカーファンを嘆かせた伝説を持つ(実際、イギリスサッカー協会は彼をイングランド代表にするため、FIFAに国籍規定の変更を求めたとか)彼ですが、そのことに関しては実は本人が一番ボヤいていたとか。ま、十代前半からずっとイギリス住まいなんで、わからんでもない。ユースのころにオーストラリア代表として試合をしていなければイギリス代表もあったのに・・・でも、オーストラリアサッカー史上最高のプレイヤーとして、いつも最高のプレイを見せてくれました。

CF ジョン・アロイージ
イタリア系ですな。何か突出した武器があるわけでもないのですが、かと言ってなんの弱点もない、計算できるフォワードでした。ちなみに5カ国のリーグを渡り歩いた苦労人

CF アーチー・トンプソン
ニュージランドの出身です。お母さんはパプアニューギニア人、というミスターオセアニア。実はFIFA公式レコードの持ち主で、なんと、ワールドカップ予選にて1試合13得点!おそらく2度と破られることはないでしょう・・・

控えGK ゼリコ・カラッチ
2m越えの長身キーパーでした。オーストラリア代表では控えでしたけど、この人なんと、あのACミランの正ゴールキーパーでした!ま、GKのほとんどが怪我、もしくは移籍でいなくなり、ACミランには一時期この人しかキーパーがいなかった、というオチがあるんですが・・・でも、ACミランに籍を置いていた、というだけでもその実力がうかがい知れる、クロアチア系。

控え 攻撃的MF マイル・ステリオロフスキー
あえて出しました、この舌を噛みそうな名前の彼。スキーだからロシア系か、と安易な気持ちでし調べたら、マセドニア系(旧ユーゴ)でした。

と、まあ、長くなりましたが、ドイツワールドカップ、オーストラリア久々の登場で大躍進をしたわけです。今、こうしてみると、いい選手がそろっていたな、と、ま、日本も負けましたけど、監督は勝負師ヒディングでしたし、今思えば順当な結果だったのではないか?そんな風に思います。



そして! もうちょっと続きます。お付き合い願いたい。

日本中が悲嘆にくれる中、このドイツ大会で実は因縁の深い戦いがありました。わかりますかね?見ていただくとわかるのですが、オーストラリア代表、結構な数のクロアチア系選手、そしてイタリア系選手がいるんです。そして、来ました、オーストラリア対クロアチア!

みなさん、この時のクロアチアメンバー、よーくプロフィールを見てください(うぃきへのリンクです)。この中に一人、あれ?という選手がいます!

ジョシップ・シミュニッチ


この選手が問題のユダです。彼、生まれがオーストラリアの首都キャンベラ。はい、オーストラリア人です!クロアチア系の両親を持つ彼、オーストラリアが懸命になってワールドカップ出場権を戦っているとき、オーストラリアからの代表初召集を無視して、ワールドカップ出場が確実視されていたクロアチア代表キャンプに出向いてしまうのです。あいたたたたたー・・・

彼はサッカー選手としてワールドカップに出るのが夢だった、その可能性が高い国を選ぶ権利があっただけと言い訳しておりますが、オーストラリア全国民を敵に回した彼、オーストラリア戦に出場しております。クロアチア系移民の選手達に加えてこれですから、血みどろな戦いになるや、と思いきや、これが激しいけれどクリーンな戦いを繰り広げ、オーストラリア、見事に勝利。決勝トーナメントにこまを進めました。敗れたクロアチア代表のシミュニッチ君、予選グループ敗退・・・いったいどんな気持ちだったのでしょうか・・・


そんなオーストラリア代表も、決勝トーナメント一回戦で優勝国、イタリアをあと一歩のところまで追い詰めるのですが、これまで。姿を消すのです。


今日はここまで!